一式戦闘機
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キ43 一式戦闘機「隼」
- 1 一式戦闘機とは
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一式戦「隼」
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詳細は「一式戦闘機」を参照 1941年8月、第64戦隊は帝国陸軍の新鋭戦闘機である一式戦「隼」に機種改変するため日本に帰国、9月にかけて多摩陸軍飛行場(現・横田基地)にて機体を受領した。飛行第59戦隊に次ぐ「隼」装備部隊である第64戦隊は11月より広東で錬成の猛訓練を行い、12月3日には旧駐屯地の広東から35機全機を加藤少佐が率い、卓越した航法により1機の落伍もなしに2千数百kmを一気に飛行し仏印のフコク島ズォンドンに進出した(第64戦隊は九七戦の頃より夜間飛行・雲上飛行・洋上航法・編隊空戦・無線活用に力を入れていた)。 なお、加藤自身は元々キ43(「隼」)の採用には否定的なスタンスであったため、第64戦隊長として機体を受領したのち「隼」大成にかける情熱に当初周囲は驚いている。この時、加藤は到着後直ちに単機の模擬空戦を初めて乗る「隼」で行ったが、低位からの空戦演習に陸軍飛行実験部実験隊の荒蒔義次大尉に勝てず、「どうしても低位からの空戦に勝ちたいと思った」と模擬空中戦を4度繰り返し荒蒔を驚かせている 。 詳細は「一式戦闘機#愛称」を参照 なお、一式戦に「隼」という愛称が陸軍航空本部報道官によって公式命名されたのは太平洋戦争開戦まもない1942年3月であるが、その「隼」の名は一式戦をもって活躍することとなる第64戦隊の部隊歌冒頭のフレーズ(後述)から取られたものとされている。
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