第一次インドシナ戦争とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > できごと > 事件・事故 > 戦争・紛争 > フランスの戦争 > 第一次インドシナ戦争の意味・解説 

第一次インドシナ戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/07 15:16 UTC 版)

第一次インドシナ戦争(だいいちじいんどしなせんそう、ベトナム語: Chiến tranh Đông Dươngフランス語: Guerre d'Indochine)は、1945年から1954年にかけて当時フランスの植民地であったフランス領インドシナベトナムラオスカンボジア脱植民地化をめぐってベトナム民主共和国(ベトナム)とフランス共和国(フランス)との間で勃発した戦争である。単に「インドシナ戦争」と言った場合は、通常この戦いを指す事が多い[1]


注釈

  1. ^ ルクレール自身は9月2日の東京湾上における降伏文書調印式に参加したのち仏領インドシナに着任する。
  2. ^ 1961年国務省白書によれば当時の解放戦線の武器の大部分が米・仏製あるいはジャングル内の原始的工場で作られたものだった
  3. ^ 1954年3月11日にワシントンD.C.で行なわれた米仏統合参謀総長会談でアーサー・W・ラドフォード米海軍大将がポール・エリー仏陸軍大将に「あなたがたは1952年冬の時点で敗北していた。」と語った。
  4. ^ ディエンビエンフー要塞の建設は、フランスへの援助を通じてベトナムへの介入を強めていたアメリカ、特にニクソン副大統領の強力なイニシアチブの下で進められた。要塞が完成する直前にはニクソン副大統領自らが現地を訪問し、ジープで走り回りながら構築状況を確認している姿が記録フィルムに残されている。
  5. ^ ディエンビエンフーの戦いで事実上の当事者であったニクソン副大統領は、ディエンビエンフー要塞が包囲されフランス軍が危機に陥った際に、周辺山岳地帯に集結したベトミン軍に対する原爆の使用をドワイト・D・アイゼンハワー大統領に進言したが却下された事を、自著『ノー・モア・ヴェトナム』(講談社 1986年 ISBN 4062024462)に記している。
  6. ^ ディエンビエンフーの戦いでは、1万人にのぼるフランス連合軍兵士が捕虜となったが、ベトミン側は当初これらの捕虜の存在を秘匿して、フランスとの交渉での取引材料とし、ジュネーヴ協定の交渉過程でフランス政府に身代金の支払と引き換えでの送還が実現した。この捕虜問題は、フランス政府に撤退後の南部メコンデルタ地域のフランス人入植者の安全への危惧を呼び起こし、フランスはかつて反仏的だったカオダイ教ホアハオ教サイゴンであるビン・スエン派などを資金援助してフランスの私兵団化させた。

出典

  1. ^ a b c d e f g h インドシナ戦争”. コトバンク. 2023年8月22日閲覧。
  2. ^ NHỮNG CON SỐ BIẾT NÓI...!”. Trung Phương (2020年7月16日). 2023年8月22日閲覧。
  3. ^ ガブリエル・コルコ「ベトナム戦争全史」p33 社会思想社
  4. ^ ロバート・S・マクナマラ「果てしなき論争」p143 共同通信社
  5. ^ a b c d e ベトナム独立戦争参加日本人の事跡に基づく日越のありかたに関する研究 井川一久 東京財団研究報告書 2005年10月
  6. ^ ロバート・S・マクナマラ「果てしなき論争」p144 共同通信社
  7. ^ バーナード・フォール「二つのベトナム」p130 毎日新聞社
  8. ^ Pentagon Papers,Origins of Insurgency in South Vietnam 54-60,pp270-282
  9. ^ Bernard B. Fall,The Two-Vietnams: a Political and Military Analysis,p129,Frederick Praeger, New York
  10. ^ タウンゼント・フープス「アメリカの挫折」p94 草思社


「第一次インドシナ戦争」の続きの解説一覧

第一次インドシナ戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/08 05:23 UTC 版)

ラウル・サラン」の記事における「第一次インドシナ戦争」の解説

1952年1月11日インドシナ駐留軍司令官ジャン・ド・ラトル・ド・タシニー英語版元帥死去にともない後任として司令官着任するベトミンによるトンキン地方への攻勢撃退したのち、ベトミン軍の行動対応してラオス地方作戦指向し12月にはナサンの戦い勝利するベトミン側はヴォー・グエン・ザップ将軍指導の下、ラオス戦に挑んだ1953年5月28日大きな戦果挙げることなく戦局拡大責任を取る形での離任となり、フランスへ帰還した

※この「第一次インドシナ戦争」の解説は、「ラウル・サラン」の解説の一部です。
「第一次インドシナ戦争」を含む「ラウル・サラン」の記事については、「ラウル・サラン」の概要を参照ください。


第一次インドシナ戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 05:59 UTC 版)

ファム・ヴァン・ドン」の記事における「第一次インドシナ戦争」の解説

1940年インドシナ共産党参加しその後ホー・チ・ミンにより指導され様々な活動貢献した1945年八月革命で、ホー・チ・ミン権力の座登ると、ファム・ヴァン・ドンベトナム民主共和国新政府財務相任命され1954年までこの職にあった。また彼は、1946年5月、フランス・フォンテーヌブローの仏越戦後交渉において、ベトナム側代表団長を務めた日本の降伏続きベトミン軍は1945年から1954年の第一次インドシナ戦争において、フランス植民地軍と戦ったフランス1954年ディエンビエンフーの戦いにおける大敗北を受け、講和求めようになった1954年5月、彼はジュネーヴ会談において、ホー・チ・ミン政権代表団率いた激し交渉の後、和平条約結ばれフランス軍新たに独立した北ベトナムとの直接対決から撤退したファム・ヴァン・ドンは、フランス首相ピエール・マンデス=フランスとともに、この和平協定署名した

※この「第一次インドシナ戦争」の解説は、「ファム・ヴァン・ドン」の解説の一部です。
「第一次インドシナ戦争」を含む「ファム・ヴァン・ドン」の記事については、「ファム・ヴァン・ドン」の概要を参照ください。


第一次インドシナ戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/23 15:20 UTC 版)

マルセル・ビジャール」の記事における「第一次インドシナ戦争」の解説

1945年10月インドシナ派遣される2年間の勤務の後に帰国するも、再びインドシナ戻り第3タイ大隊インドシナ行進大隊勤務し1952年7月に第6植民地落下傘大隊大隊長となる。1953年11月ディエンビエンフー先遣隊として降下し要地確保後に撤収する。1954年3月16日ディエンビエンフーの戦い増援としてエリアンヌ陣地降下アンヌ=マリー1号/2号陣地奪回を図るも不成功に終わる。その後はピエール・ラングレ中佐と共にディエンビエンフー防衛戦事実上指揮執る戦闘中中佐昇進ディエンビエンフー陣地群の陥落後、ベトミン軍の捕虜となる。

※この「第一次インドシナ戦争」の解説は、「マルセル・ビジャール」の解説の一部です。
「第一次インドシナ戦争」を含む「マルセル・ビジャール」の記事については、「マルセル・ビジャール」の概要を参照ください。


第一次インドシナ戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/05 18:28 UTC 版)

軍事境界線 (ベトナム)」の記事における「第一次インドシナ戦争」の解説

詳細は「第一次インドシナ戦争」を参照 第一次インドシナ戦争は、1946年から1954年までの間、フランスホー・チ・ミン主導下のベトナム民主共和国とが戦った戦争だった。 第二次世界大戦中ベトミン日本軍ベトナム占領対す抵抗行なう中で、徐々に戦闘技術練達していった。そして大戦後には、旧仏領インドシナ連邦再構築目論むフランス官憲に対して反抗し1946年から7年にも及ぶ血みどろ戦争継続した。 第一次インドシナ戦争は、フランス国民にとって評判芳しいものではなかったが、第二次世界大戦惨禍から復興目指していた第四共和政政府は、結果的に戦争遂行継続することとなった戦争中アメリカ合衆国政治的財政的にフランス支持していた。しかし、ディエンビエンフーの戦いフランス軍壊滅的な損失被ったことで、ジュネーヴ協定締結至った

※この「第一次インドシナ戦争」の解説は、「軍事境界線 (ベトナム)」の解説の一部です。
「第一次インドシナ戦争」を含む「軍事境界線 (ベトナム)」の記事については、「軍事境界線 (ベトナム)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「第一次インドシナ戦争」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「第一次インドシナ戦争」の関連用語

第一次インドシナ戦争のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



第一次インドシナ戦争のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの第一次インドシナ戦争 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのラウル・サラン (改訂履歴)、ファム・ヴァン・ドン (改訂履歴)、マルセル・ビジャール (改訂履歴)、軍事境界線 (ベトナム) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS