インドシナ【Indochina】
インドシナ 【印度支那(Indo -China)】
インドシナ
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インドシナ (Indochine)
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インドシナ
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「ドワイト・D・アイゼンハワー」の記事における「インドシナ」の解説
トルーマンが拡大を続けたインドシナ戦争を戦うフランス軍へのアメリカからの援助は、1952年度までに年額約3億ドルに及び、アイゼンハワーが大統領に就任した1953年には約4億ドルに上った。4年間の援助総量は航空機約130機・戦車約850輌・舟艇約280隻・車両1万6000台・弾薬1億7000万発以上・医薬品・無線機などが送られている。また1950年10月にサイゴンで組織されていたインドシナアメリカ軍事援助顧問団(MAAG)はフランス軍の兵力不足を補うべく活動した。 1953年11月に行われたディエンビエンフーの戦いにおいて、フランス軍降伏の報せを聞いた副大統領ニクソンは、周辺山岳地帯に集結したベトミン軍に対する小型原子爆弾の使用をアイゼンハワーに進言したが却下された。またアメリカの統合参謀本部はフィリピンに展開しているボーイングB-29爆撃機による支援爆撃を主張したが、アイゼンハワーはこれも却下した。 1954年にジュネーブ協定が締結されインドシナ戦争が終結したことでフランスが去り、ベトナム共和国(南ベトナム)が成立した後の1955年11月には「インドシナ米軍事援助顧問団」が「南ベトナムアメリカ軍事援助顧問団」へと改組された。その後フランスに代わりインドシナ半島の反共勢力を支援することとなったアメリカと、ゴ・ディン・ディエム率いる南ベトナムとの関係は強化され、軍事支援の規模も拡大されたが、アイゼンハワー政権下においては正規軍の派遣は行われなかった。しかしケネディ政権では事実上の正規軍の派遣までその規模が拡大され、その後のベトナム戦争と第二次インドシナ戦争に発展していくことになる。
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