南ベトナムとの関係 (1959年 - 1975年)
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マラヤ連邦とベトナム共和国 (南ベトナム) の公的な関係は1959年に確立したが、前年に行われたマレーシアのトゥンク・アブドゥル・ラーマン首相と南ベトナムのゴ・ディン・ジエム大統領による首脳会談に続くものであった。南ベトナム大使館のクアラルンプールへの設置とマレーシア大使館のサイゴンへの設置に関する合意は1960年に結ばれていたが、マラヤ連邦がマレーシアとなる1964年まで、お互い大使館は設置されなかった。共産主義勢力に対するマラヤ危機(英語版)を経験したことで、ベトナムでの共産党の勝利がドミノ理論によって自国の脅威となることを恐れたマレーシアは、ベトナム戦争において米軍を強く支持した。トゥンク・アブドゥル・ラーマン首相は1966年12月にこうした関係を明らかにするとともに、米英両国に対し、ベトナムでの軍事活動に対する兵站支援を増加するよう求めた。マレーシアは、南ベトナムの警察や軍隊の官吏に対し、その能力拡大を支援するため、行政機関の運営からジャングルでの戦闘まで訓練を施すとともに、バイクを提供した。1975年のベトナム戦争終結に向けて、マレーシアは二段階をへてサイゴンの大使館を閉鎖した。すなわち第一段階は、1975年4月21日に大使館関係者を帰還させ、次に16日後の28日に完全閉鎖した。これは、30日のサイゴン陥落の2日前であった。1975年5月に組織され短命に終わった南ベトナム共和国に対し、マレーシアは相手の政治的イデオロギーや社会制度に対して公明正大であるという立場を表して、誕生後数日以内に承認した。
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