南ベトナムの監督の委任とは? わかりやすく解説

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南ベトナムの監督の委任

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/22 09:10 UTC 版)

マスタードム作戦」の記事における「南ベトナムの監督の委任」の解説

1945年7月ポツダムにて連合国首脳陣による協議が行われ、インドシナ半島展開する日本軍降伏関連し北緯16度線境界とした半島北部監督蔣介石中華民国)、南部監督東南アジア地域連合軍(英語版)(SEAC総司令官ルイス・マウントバッテンイギリス)に委任した連合各国フランスフランス領インドシナ正当な領有国である点について合意していたが、大戦通じて枢軸国国土大半占領されたことで植民地支配するだけの国力喪失しているとも考えられていた。このため再進駐を行うフランス当局支援するべく英印軍インドシナ半島派遣されることとなったのである当時イギリス陸軍徴兵制採用していたこともあり、アジア方面での終戦受けて早期復員求め圧力高まっていた。そのため、SEACでは主に志願兵から成る英印軍主力として戦後処理のための諸任務実施しなければならなかった。しかし、SEACイギリス本国政府、そして英印軍上層部の間にあった英印軍目的権限に関する認識大きな隔たりは、その後の作戦混乱繋がったマウントバッテンサイゴン派遣する連合国委員会英語版)(占領行政当局)、および歩兵主力とする仏印連合地上軍Allied Land Forces French Indochina, ALFFIC)の編成命じた。これらの組織サイゴン周辺における治安維持および日本軍部隊武装解除連合国軍捕虜解放および支援をその任務定めていた。 委員会当局関心は、もっぱら東南アジアにおける日本陸軍司令部解体連合国軍捕虜への人道支援向けられていた。委員会議長には英印軍20インド師団英語版)長ダグラス・グレイシー(英語版少将選ばれ第20師団下級編成であるD・E・ターントン准将(D.E. Taunton指揮下の第80旅団英語版)が最初のALFFIC所属旅団としてベトナムへ派遣されることとなった

※この「南ベトナムの監督の委任」の解説は、「マスタードム作戦」の解説の一部です。
「南ベトナムの監督の委任」を含む「マスタードム作戦」の記事については、「マスタードム作戦」の概要を参照ください。

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