フランス領インドシナとは? わかりやすく解説

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フランスりょう‐インドシナ〔‐リヤウ‐〕【フランス領インドシナ】

読み方:ふらんすりょういんどしな

もとフランスの植民地であったインドシナ半島東部の称。現在のベトナム・カンボジア・ラオス。仏領インドシナ仏印(ふついん)。

フランス領インドシナの画像
フランス領インドシナの旗

フランス領インドシナ

フランス領インドシナ
French Indo-China
French, until 1954
通貨単位Piastre / Cent / Sapeques
5 Sapeques = 1 Cent
100 Cents = 1 Piastre
10 セント (1945)
10 セント (1939)

フランス領インドシナ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/04 16:41 UTC 版)

インドシナ連邦(インドシナれんぽう)、通称フランス領インドシナ(フランスりょうインドシナ、フランス語: l'Indochine françaiseベトナム語Đông Dương thuộc Pháp / 東洋屬法クメール語: សហភាពឥណ្ឌូចិនラーオ語: ຝຣັ່ງແຫຼັມອິນດູຈີນ中国語: 法属印度支那)は、1887年から1954年にかけての東南アジアに存在したフランスの植民地である。現在のベトナムラオスカンボジア中国広東省湛江市に相当する地域で構成されていた。


  1. ^ 広辞苑』(第六版)岩波書店、2008年11月11日。 
  2. ^ a b c d e f g h i 桜井由躬雄「植民地化のベトナム」『東南アジア史 I 大陸部』、311頁。 
  3. ^ a b 小倉 1997, p. 239
  4. ^ a b c 桜井由躬雄「ベトナム世界の成立」『東南アジア史 I 大陸部』、229頁。 
  5. ^ a b 小倉 1997, p. 240-241
  6. ^ 桜井由躬雄「植民地化のベトナム」『東南アジア史 I 大陸部』、303頁。 
  7. ^ a b 桜井由躬雄「ベトナム世界の成立」『東南アジア史 I 大陸部』、230頁。 
  8. ^ 小倉 1997, p. 243
  9. ^ 北川香子「ポスト・アンコール」『東南アジア史 I 大陸部』、254頁。 
  10. ^ 北川香子「ポスト・アンコール」『東南アジア史 I 大陸部』、255頁。 
  11. ^ a b 小倉 1997, p. 247
  12. ^ 村嶋英治「タイ近代国家の形成」『東南アジア史 I 大陸部』、408頁。 
  13. ^ 『東南アジアの歴史―人・物・文化の交流史』84頁
  14. ^ a b c d 桜井由躬雄「植民地化のベトナム」『東南アジア史 I 大陸部』、307頁。 
  15. ^ a b 『東南アジアの歴史―人・物・文化の交流史』83頁
  16. ^ a b レイ・タン・コイ, p. 134
  17. ^ a b c 桜井由躬雄「植民地化のベトナム」『東南アジア史 I 大陸部』、308頁。 
  18. ^ a b 桜井由躬雄「植民地化のベトナム」『東南アジア史 I 大陸部』、309頁。 
  19. ^ a b 小倉 1997, p. 371
  20. ^ 飯島明子「植民地化の「ラオス」」『東南アジア史 I 大陸部』、352頁。 
  21. ^ 村嶋英治「タイ近代国家の形成」『東南アジア史 I 大陸部』、409頁。 
  22. ^ 村嶋英治「タイ近代国家の形成」『東南アジア史 I 大陸部』、411頁。 
  23. ^ 村嶋英治「タイ近代国家の形成」『東南アジア史 I 大陸部』、412-413頁。 
  24. ^ 飯島明子「植民地化の「ラオス」」『東南アジア史 I 大陸部』、354頁。 
  25. ^ 『東南アジアの歴史―人・物・文化の交流史』95頁
  26. ^ 桜井由躬雄「植民地化のベトナム」『東南アジア史 I 大陸部』、326頁。 
  27. ^ レイ・タン・コイ, p. 139
  28. ^ 桜井由躬雄「植民地化のベトナム」『東南アジア史 I 大陸部』、310頁。 
  29. ^ a b 桜井由躬雄「植民地化のベトナム」『東南アジア史 I 大陸部』、322頁。 
  30. ^ 桜井由躬雄「植民地化のベトナム」『東南アジア史 I 大陸部』、324頁。 
  31. ^ 桜井由躬雄「植民地化のベトナム」『東南アジア史 I 大陸部』、323頁。 
  32. ^ a b 桜井由躬雄「植民地化のベトナム」『東南アジア史 I 大陸部』、329頁。 
  33. ^ レイ・タン・コイ, p. 147
  34. ^ a b 桜井由躬雄「植民地化のベトナム」『東南アジア史 I 大陸部』、334頁。 
  35. ^ a b 『東南アジアの歴史―人・物・文化の交流史』161頁
  36. ^ a b c d 村嶋英治「タイ近代国家の形成」『東南アジア史 I 大陸部』、432頁。 
  37. ^ a b 桜井由躬雄「植民地化のベトナム」『東南アジア史 I 大陸部』、335頁。 
  38. ^ a b 飯島明子「植民地化の「ラオス」」『東南アジア史 I 大陸部』、360頁。 
  39. ^ 桜井由躬雄「植民地化のベトナム」『東南アジア史 I 大陸部』、337頁。 
  40. ^ a b c 桜井由躬雄「植民地化のベトナム」『東南アジア史 I 大陸部』、336頁。 
  41. ^ a b c d 『東南アジアの歴史―人・物・文化の交流史』162頁
  42. ^ a b c d e レイ・タン・コイ, p. 173
  43. ^ a b 『東南アジアの歴史―人・物・文化の交流史』163頁
  44. ^ a b 飯島明子「植民地化の「ラオス」」『東南アジア史 I 大陸部』、362頁。 
  45. ^ a b 桜井由躬雄「植民地化のベトナム」『東南アジア史 I 大陸部』、339頁。 
  46. ^ 『東南アジアの歴史―人・物・文化の交流史』175頁
  47. ^ 『東南アジアの歴史―人・物・文化の交流史』179頁
  48. ^ a b レイ・タン・コイ, p. 174
  49. ^ a b 桜井由躬雄「植民地化のベトナム」『東南アジア史 I 大陸部』、343頁。 
  50. ^ 桜井由躬雄「植民地化のベトナム」『東南アジア史 I 大陸部』、345頁。 
  51. ^ a b レイ・タン・コイ, p. 175
  52. ^ 桜井由躬雄「植民地化のベトナム」『東南アジア史 I 大陸部』、346頁。 


「フランス領インドシナ」の続きの解説一覧

フランス領インドシナ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 19:48 UTC 版)

第二次世界大戦の影響」の記事における「フランス領インドシナ」の解説

日本から独立与えられていたフランス領インドシナ(ベトナム)では、日本の降伏直後に、ベトナム独立同盟会ベトミン)がインドシナ共産党主導下で八月革命引き起こしベトナム帝国からの権力争奪闘争各地展開したその後9月2日に、ホー・チ・ミンハノイベトナム民主共和国建国宣言した。 ところが、旧植民地の再支配謀るフランス独立認めず9月末にはサイゴン支配権奪取したことで、ベトミン武力衝突した。その後ベトミンフランスとの交渉による解決試み1946年3月にはフランス連合内での独立認められた。だが、フランスベトナム統一国家として独立することを拒否しコーチシナ共和国樹立などベトナム分離工作行なった。これにより、越仏双方が抱く意見の相違解決されず、同年12月ハノイで越仏両軍衝突したことで、第一次インドシナ戦争勃発した

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フランス領インドシナ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/18 19:04 UTC 版)

トンキン」の記事における「フランス領インドシナ」の解説

詳細は「フランス領インドシナ」を参照 1887年にフランス領インドシナが成立すると、インドシナ総督府はハノイ設置され総督ハノイサイゴン往復することになる。フランストンキン重視していたことは後にインドシナ大学ハノイ設置されたことにも現れている。良質無煙炭産出するホンゲイ炭鉱フランス重要な収入源であった

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フランス領インドシナ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 09:08 UTC 版)

ルアンパバーン王国」の記事における「フランス領インドシナ」の解説

1905年にはラオス領域保護国化されフランス領インドシナが完成した第二次世界大戦開始後、1940年11月タイフランスとの間で仏印国境紛争起こりタイは反仏宣伝一環としてラオス工作開始したラジオ放送宣伝ビラパンフレット活用工作員潜入などを通して行われ、「ラーオ人タイ人結局は同じタイ系民族である」との民族同胞性を強調することによって、抑圧フランスに対して抵抗することを訴えた。このタイの反仏抵抗に対してフランスがとった政策は、ルアンパバーン王国強化文教政策ラオス刷新運動であり、フランスラオス植民地維持政策であった学校教育重視し小学校各地新設され、「勤勉家族祖国」をスローガンに「母なる祖国フランス」への奉仕説かれた。このような政策広めるために大きな役割果たしたのは1941年1月発刊されラーオ語であった。しかし、このことは、ラオス人のなかに「ラオス」という国民意識生み出す契機となった1945年3月9日日本軍明号作戦フランス軍撃破した後、日本軍4月8日にはルアンパバーン国王シーサワーンウォン王にラオス王国の独立宣言させた。同年8月日本政府ポツダム宣言受諾後にあってシーサワーンウォン王は、ラオス独立宣言撤回したものの、独立派ラオ・イサラ(自由ラオス)を結成し臨時政府樹立した。しかし、1946年4月には再びフランス軍ラオス制圧し第一次インドシナ戦争起きたラオ・イサラタイ亡命政府樹立したフランス同年8月親仏派のシーサワンウォン王に対しフランス連合におけるルアンパバーン王国含めた統一ラオス王国王として内政自治権与えた。それを受け、シーサワンウォン王は1947年5月憲法制定しラオス立憲君主国とした。

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フランス領インドシナ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 08:17 UTC 版)

ベトナムの歴史」の記事における「フランス領インドシナ」の解説

1887年 - 1945年詳細はフランス領インドシナを参照 ベトナム植民地化を図るフランスは、1883年癸未条約英語版)・1884年甲申条約英語版)によってベトナム保護国化した。ベトナムへ宗主権主張してこれを認めない清朝清仏戦争撃破し1885年の天津条約で清の宗主権否定した1887年にはフランス領インドシナ連邦成立させ、ベトナムカンボジアとともに連邦組み込まれフランスの植民地となった阮朝植民地支配下で存続していた。 1900年代になると、知識人主導民族運動高まったファン・ボイ・チャウは、日本留学生送り出す東遊運動ドンズー運動)を展開した1917年ロシア革命によってソビエト連邦成立すると、コミンテルン結成され植民地解放支援したこうした中で、コミンテルンとの連携のもとでの民族運動強まった1930年にはインドシナ共産党結成され第二次世界大戦中ベトミンベトナム独立同盟)でもホー・チ・ミンのもとで共産党主導的な役割果たした1930年に、2月グエン・タイ・ホックベトナム国民党イエンバイ省イエンバイ蜂起起こしその後ゲアン省ハティン省ゲティン・ソヴィエトベトナム語: Xô Viết Nghệ Tĩnh、Nghe-Tinh soviet)の蜂起起こった

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