ふつりょう‐インドシナ〔フツリヤウ‐〕【仏領インドシナ】
読み方:ふつりょういんどしな
「フランス領インドシナ」の略。
フランス領インドシナ
(仏領インドシナ から転送)
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インドシナ連邦(インドシナれんぽう)、通称フランス領インドシナ(フランスりょうインドシナ、フランス語: l'Indochine française、ベトナム語:Đông Dương thuộc Pháp / 東洋屬法、クメール語: សហភាពឥណ្ឌូចិន、ラーオ語: ຝຣັ່ງແຫຼັມອິນດູຈີນ、中国語: 法属印度支那)は、1887年から1954年にかけての東南アジアに存在したフランスの植民地である。現在のベトナム・ラオス・カンボジア・中国広東省湛江市に相当する地域で構成されていた。
- 1 フランス領インドシナとは
- 2 フランス領インドシナの概要
仏領インドシナ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/30 16:07 UTC 版)
1887年には新設のインドシナ総督の下で直轄領コーチシナ、保護国アンナン、保護領トンキンを含む仏領インドシナ(インドシナ連邦)が成立した。
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仏領インドシナ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 02:09 UTC 版)
仏領インドシナでのフランス空軍も、1940年6月に大東亜共栄圏を提唱した大日本帝国がトンキン湾まで艦艇を進めて対峙して以降戦闘に入った。1940年9月に日本軍がハイフォンに上陸し、シャム空軍(日本人パイロットによる攻撃機)として攻撃を開始、フランス側も健闘したが敗北し、現在のラオス及びカンボジアにあたる地域をシャムに明け渡した。枢軸国側で第二次世界大戦に参戦したタイ王国との戦闘以外アジアでの目立った活動は無かったが、以後ベトナムでの日本軍との協調した状態で二重駐屯が続いた。 その後1945年3月の日本軍撤退までこの地域のフランス空軍は燃料不足や制空権の喪失により航空機を放置した。 第一次インドシナ戦争最中の1954年のディエンビエンフーの戦いでの敗北の後、フランス空軍はすべてのフランス権益とともにインドシナから撤退した。
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