フランス領スーダン
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- フランス領スーダン
- Soudan français
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←1880年 - 1960年 →
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(国旗) -
国歌: La Marseillaise
ラ・マルセイエーズ
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緑:フランス領スーダン
黄緑:フランス領西アフリカ
グレー:その他のフランス植民地
黒:フランス共和国 -
首都 バマコ(1892年から99年はカイ) 現在 マリ
フランス領スーダン(フランス語: Soudan français, 英語: French Sudan)は、1890年から1902年および1920年から1960年の間、西アフリカに存在したフランスの植民地である。フランス領西アフリカの一部であり、現在のマリ共和国の領域を管轄としていた。
歴史
前史
現在のマリ共和国の地域にフランス植民地政府が置かれたのは1880年のことである。当時はオー・セネガル植民地と呼ばれ、首都はカイに置かれた。
1890年 - 1902年
1890年にはフランス領スーダンと改称され、1899年には首都はカイからバマコへと遷都された。
セネガンビア・ニジェール
1902年にはセネガルやニジェールと統合され、フランス領セネガンビア・ニジェール植民地となった。
オー・セネガル・ニジェール
1904年にはフランス領オー・セネガル・ニジェール植民地となった。
1921年 - 1960年
1919年にフランス領オートボルタ(現ブルキナファソ)が分離し、1921年12月1日には再びマリの領域だけで再独立してフランス領スーダンの呼称に戻った。
1933年にフランス領オートボルタが消滅した際、領土を増やした。
1958年10月4日の国民投票の結果、1958年11月25日にフランス領スーダンはフランス共同体の中で自治権を得た。その後各植民地の完全独立の動きが高まる中、フランス領スーダンの首相であるモディボ・ケイタは同じくフランス領セネガルの首相レオポール・セダール・サンゴールとともに両国の連合を組むことに合意し、1960年6月20日両国はマリ連邦として統一して独立した。しかし、両植民地の意見の食い違いにより、8月20日にセネガルは脱退し、わずか2ヶ月でマリ連邦は崩壊。残されたスーダンはマリ共和国として単独独立することとなった。
フランス領スーダン(1892年 - 1960年)
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「マリ共和国の歴史」の記事における「フランス領スーダン(1892年 - 1960年)」の解説
「フランス領スーダン」を参照 マリは1892年にフランスの植民地支配下に置かれた。1893年、フランスはSoudan Français(「フランスのスルターン」)と呼ばれる文民総督を任命したが、フランス統治への抵抗は続き、1905年にようやく平定された。フランス領スーダンはフランス領西アフリカの一部として統治され、西アフリカ海岸のフランス植民地に労働力を提供した。1958年、「スーダン共和国」として完全な内部自治権を獲得、フランス共同体に参加した。1959年初にはスーダン共和国とセネガルでマリ連邦を結成したが、1960年3月31日にはフランスがマリ連邦の完全独立に同意した。1960年6月20日、マリ連邦は正式に独立国になり、モディボ・ケイタが初代大統領に就任した。
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