フランス領コーチシナとは? わかりやすく解説

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フランス領コーチシナ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/22 04:28 UTC 版)

コーチシナ植民地
Colonie de Cochinchine(フランス語)
Xứ thuộc địa Nam Kỳ(ベトナム語)
1862年 - 1946年
国旗 国章
国歌: La Marseillaise(フランス語)
ラ・マルセイエーズ

Chinh phụ ngâm khúc英語版(ベトナム語)
征婦吟曲(1946年 ‐ 1949年)

1920年のコーチシナ
言語 フランス語
ベトナム語
クメール語
中国語
宗教 仏教
儒教
道教
カトリック教会
アニミズム
カオダイ教
ホアハオ教
イスラム教
首都 サイゴン
総督
1858年 - 1859年 シャルル・リゴー・ド・ジェヌイ英語版
1947年 - 1949年 ピエール・ボワイエ・ド・ラトゥール・ドゥ・ムーランフランス語版
首相
1946年6月1日 - 11月10日 グエン・ヴァン・ティン英語版
1947年 - 1948年 グエン・ヴァン・スアン
人口
1920年 3,800,000[1]
変遷
サイゴン占領 1859年2月17日
大南より譲渡 1862年6月5日
仏印の一部に 1887年10月17日
日本による占領 1941年7月28日
ベトナム独立宣言 1945年9月2日
コーチシナ共和国成立 1946年6月1日
通貨
(1862年 - 1945年)

コーチシナ・ピアストル英語版
(1878年 - 1885年)

フランス領インドシナ・ピアストル
(1885年 - 1949年)
現在  ベトナム

フランス領コーチシナ(フランスりょうコーチシナ、フランス語: Cochinchine française)は、ベトナム南部を占めていた、フランス領インドシナの植民地である。

解説

1941年から1945年にわたる日本による占領が終わり、ベトナム共産党が主導する民族統一戦線、ベトミンサイゴンから追放された後、フランスはこの地域をコーチシナ共和国として独立させたが、これはベトナム人民の反感を買うことになり、後の第一次インドシナ戦争の引き金となった。

1949年にベトミンがハノイにて行った、ベトナム民主共和国独立宣言の中で述べた領有権について否定する為、フランスはコーチシナをフランス連合内のベトナム国として安南保護国、及びトンキン保護国と統合させた。

脚注

  1. ^ Kiernan, Ben (2019). Việt Nam: a history from earliest time to the present. Oxford University Press. p. 330. ISBN 978-0-190-05379-6 



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