フランス領サン=ドマング植民地の成立とは? わかりやすく解説

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フランス領サン=ドマング植民地の成立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/11 02:19 UTC 版)

サン=ドマング」の記事における「フランス領サン=ドマング植民地の成立」の解説

サン=ドマング(Saint-Domingue)は、スペインがこの島の名前としていたサント・ドミンゴSanto Domingoフランス語直訳すればサンドミニク Saint-Dominique かサンディマンシュ Saint-Dimanche となるだろう)がフランス語になったのであるスペインはかつてイスパニョーラ島全土支配しサント・ドミンゴ呼び先住民黒人奴隷酷使して金鉱などを開発していたが、より豊かな金鉱銀鉱南アメリカメキシコ発見され1520年代以降関心薄れつつあった。海賊襲撃相次ぐため、1606年スペイン王フェリペ3世イスパニョーラ島植民者対し、島の東の拠点都市サントドミンゴ周辺移転するよう命令出した。島の北や西には、イングランドフランスオランダなどの海賊が代わって拠点を置くようになった未開であった島の西北部では、フランス人イングランド人海賊たち1625年沖合の島トルトゥーガ島トルチュ島)に初の拠点を置き、スペイン船などを襲いながら海賊同士交易行い野獣狩って生活したスペイン軍はしばしトルトゥーガ島掃討したが、海賊たち新鮮な求めて戻ってくることを止められなかった。1659年フランス王ルイ14世トルトゥーガ島を公式に植民地とし、新設されフランス西インド会社1664年植民地経営引き継ぎ、公式にイスパニョーラ島本土西部領有宣言した1670年には島北部本土初の入植地カプ=フランセ(Cap-Français現在のカパイシャン Cap-Haïtien)を築いた衰退しつつあったスペインにはそれを追い払う余力はなく、1697年ライスワイク条約正式に島の西側三分の一フランス領となったフランスは新植民地に「サン=ドマング」と名づけた。その首都1770年に、カプ=フランセから島西部ゴナーブ湾面したポルトープランス移っている。 東側ひきつづきスペインサントドミンゴ植民地であり、現在では「ドミニカ共和国」として独立している。

※この「フランス領サン=ドマング植民地の成立」の解説は、「サン=ドマング」の解説の一部です。
「フランス領サン=ドマング植民地の成立」を含む「サン=ドマング」の記事については、「サン=ドマング」の概要を参照ください。

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