フランス領へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 08:26 UTC 版)
しかし、ヨーロッパ列強に対する住民の不満は募っていた。1907年に港湾工事を行っていたヨーロッパ人労働者を住民が殺害したのを機に、暴動に発展。フランス、スペインが軍艦を派遣し、カサブランカを砲撃、フランス軍はカサブランカを占領した。1912年、モロッコはフランスと保護領条約を締結し、カサブランカはフランスの保護領となった。 フランス保護領モロッコの初代総督に就いたウベール・リヨーテ将軍がカサブランカを商業の中心として整備した。第二次世界大戦中はドイツ軍によってフランスが占領されたために、戦争当初は親独のヴィシー政権の支配下にあったが、連合国軍の北アフリカ侵攻によって連合国軍に占領され、自由フランスに復帰した。1943年にはカサブランカ会談が開かれた。
※この「フランス領へ」の解説は、「カサブランカ」の解説の一部です。
「フランス領へ」を含む「カサブランカ」の記事については、「カサブランカ」の概要を参照ください。
- フランス領へのページへのリンク