フランス領での激戦と負傷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:20 UTC 版)
「エルヴィン・ロンメル」の記事における「フランス領での激戦と負傷」の解説
第124歩兵連隊は国境を超えてフランス領へ侵攻し、ムーズ川ほとりの町デュン(fr)に到着(ヴェルダンから北28キロほど)。ムーズ川渓谷での激戦に参加した。ムーズ川は天然の要塞であり、フランス軍砲兵部隊の激しい砲火が降り注ぐため、突破するのは極めて困難だった。ロンメルの小隊が属する第7中隊中隊長も負傷し、一時的にロンメルが中隊長代理に就任して指揮権を引き継いでいる。ロンメルは中隊を率いてフランス軍砲兵陣地へ攻撃をかけるも失敗し、第2大隊主力を発見して合流した。新しい第7中隊長が決まると、ロンメルは小隊長に戻った。 この頃、第124歩兵連隊への補給が途絶え、道端の草を食って飢えを凌いでいた兵士たちの中に腹痛を起こす者が続出し、連隊の戦力は大きく低下した。続いて9月12日のヴェルダンの敵拠点への攻撃に失敗したことで、連隊は大きな損害を出した。同日に連隊は回復のため後方に下げられた。その日の午後、ロンメルは疲れ切って第2大隊司令部で大隊長副官として勤務中に居眠りしてしまい、同僚や上官が起こそうとしても起きずに眠り続けたので、翌13日に目を覚ました時には、上官にこっぴどく叱られたという。 9月22日から第124歩兵連隊は、モンブランヴィル(fr)での戦闘に参加した。9月22日の戦闘では、大隊長副官ロンメルの補佐により第2大隊は大きな戦果をあげた。しかし、9月24日のヴァレンヌ=アン=アルゴンヌ付近の戦闘で、銃剣術に覚えのあったロンメルは、フランス兵3名に弾の入っていない銃剣を装着した小銃で立ち向かおうとし、片足の上腿部を撃ち抜かれて負傷した。木の後ろに隠れたロンメルは、部下たちに救助されて簡易な野戦病院へと運ばれた。さらに、翌朝にはストゥネ(fr)の将校野戦病院へ移送された。入院中の9月30日に二級鉄十字章の受章を受けた。
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