ヨーロッパを転戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 00:35 UTC 版)
「オイゲン・フォン・ザヴォイエン」の記事における「ヨーロッパを転戦」の解説
1701年、ルイ14世の孫のフェリペ5世が断絶したスペイン・ハプスブルク家の王位を継承しようとしたことにオーストリア・ハプスブルク家が反対し、スペイン領ミラノ公国に派兵したことでスペイン継承戦争が始まると、オイゲンは北イタリア戦線の司令官に就任、フランス軍と交戦した。7月9日、カルピの戦いでフランス軍の将軍ニコラ・カティナを破り、次いでヴィルロワ公率いるフランス軍も9月1日のキアーリの戦いで勝利、翌1702年2月1日のクレモナの戦いでヴィルロワを捕らえる手柄を上げた。しかし、ヴィルロワに代わってイタリア戦線に出向いたヴァンドームにもルッザーラの戦いで勝利したが、オーストリアから財政支援を受けられず苦境に立たされていた。 1703年に陳情のためイタリアはグイード・フォン・シュターレンベルクに任せてウィーンに出向いたが、ライン川方面でバイエルン選帝侯マクシミリアン2世が離反、フランス軍と合流してウィーンを伺う程の勢力を築いたためレオポルト1世から軍事委員会総裁に任命されオーストリアの軍事指揮権を掌握、1704年にライン川方面の戦線でフランス軍と戦い、1704年にはオーストリアの同盟国でイングランドの司令官マールバラ公ジョン・チャーチルの軍と共にフランス・バイエルン連合軍をブレンハイムの戦いで破った。この戦いに続く戦闘で、オイゲンの加わる連合軍はドナウ川流域のフランス軍を壊滅させ、戦争が反フランス同盟側の有利に進む大きな契機となった。 その後、マールバラ公とオイゲンはフランス領への侵攻を図ったが、同盟側の結束の緩みから断念せざるを得なくなり、オイゲンのオーストリア軍はマールバラ公のイングランド軍と別れ、フランス軍が進出していた北イタリアに移動した。1705年にレオポルト1世が亡くなり即位した長男のヨーゼフ1世にも引き続き仕え、友人のヴラティスラフ伯爵と共に戦争を主導していった。 イタリアではヴァンドームが攻勢に出てサヴォイア公国の大半を制圧、トリノも包囲されていた。オイゲンは巻き返しを図ったが、1705年8月16日、カッサーノの戦いでヴァンドームに敗北、翌1706年1月にはフランスからベリック公ジェームズ・フィッツジェームズが援軍に赴きニースを落とし、4月19日にはオイゲンがウィーン滞在中の時にヴァンドームがカルチナートの戦いでオーストリア軍を破るなどイタリア戦線は劣勢のままであった。 ところが、5月23日にラミイの戦いでヴィルロワがマールバラ公に大敗すると状況が一変、8月にヴァンドームがヴィルロワに代わってスペイン領ネーデルラント(現ベルギー、ルクセンブルク)へ送られ、マルサンとオルレアン公フィリップ2世がイタリアに派遣されると、オイゲンは9月7日にヴィットーリオ・アメデーオ2世と共にトリノ包囲中のフランス軍を破り(トリノの戦い)、功績からミラノ総督に任命された。翌1707年3月にミラノも降伏させイタリア戦線からフランス軍を駆逐、同年にナポリもヴィリッヒ・フォン・ダウン率いるオーストリア軍が平定、イタリアはオーストリアの手に入った。5月にトゥーロンを包囲したが落とせず8月に撤退(トゥーロン包囲戦)、11月にミラノ総督を辞任してウィーンへ向かった。 1708年にフランス軍が反攻を開始したため、再びマールバラ公と共同作戦を行ってフランドルに進軍し、ブルゴーニュ公ルイ及びヴァンドームが率いるフランス軍にアウデナールデの戦いで勝利してリールを攻略した(リール包囲戦)。しかし、翌1709年にフランスの将軍ヴィラールとのマルプラケの戦いでは勝利を収めたものの甚大な被害を受け、オイゲン自身も負傷した。 マルプラケの戦いの後、反フランス同盟のフランスに対する攻勢は鈍り、同盟軍は引き続きネーデルラントでフランス軍と戦ったが、1711年にヨーゼフ1世が死去、スペイン王位候補だった弟のカール大公が皇帝カール6世に即位したり、マールバラ公が和平へ進んだイギリス本国の命令で罷免され、1712年7月にマールバラ公の後任のイギリス軍司令官のオーモンド公ジェームズ・バトラーがフランスと和平を結んだイギリス本国の命令で軍を引き上げるなどの行動で苦境に追いやられた。オイゲンはオランダ軍と共に抗戦を続けたが7月24日のドゥナの戦いでヴィラールに敗北したこともあって1713年にイギリス・オランダはユトレヒト条約を締結、残されたオーストリアもフェリペ5世にフランス王位継承権を放棄させた上でスペイン王位継承権を認める条件で和平を結んだ。オイゲンはヴィラールと共に交渉を重ね、1714年3月6日のラシュタット条約締結に尽力した。
※この「ヨーロッパを転戦」の解説は、「オイゲン・フォン・ザヴォイエン」の解説の一部です。
「ヨーロッパを転戦」を含む「オイゲン・フォン・ザヴォイエン」の記事については、「オイゲン・フォン・ザヴォイエン」の概要を参照ください。
- ヨーロッパを転戦のページへのリンク