スペイン・ハプスブルク家とは? わかりやすく解説

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スペイン・ハプスブルク朝

(スペイン・ハプスブルク家 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/02 09:53 UTC 版)

スペイン・ハプスブルク朝は、16世紀から18世紀にかけて、ハプスブルク家のスペイン分家の王が支配した広大な領土[注釈 3]を指す現代史学用語である[注釈 4]。ハプスブルクのスペイン語名によりアブスブルゴ朝とも呼ばれる。


注釈

  1. ^ Also known as Kingdom of Spain (Old Spanish: Reyno de España (often also spelled, Eſpana, Eſpaña or Eſpanna), Modern Spanish: Reino de España).[2]
  2. ^ In modern Spanish: Monarquía de España.
  3. ^ 現代のスペインフランス南東部の一部、イタリアの主に南部、最終的にはポルトガル、その他イベリア半島以外の多くの土地を含む。
  4. ^ 中・東欧史におけるその役割も関連している。
  5. ^ 主にカルロス1世フェリペ2世
  6. ^ これはスペイン・ハプスブルク家に関して、しかも末期を除いてであり、オーストリア・ハプスブルク家は分家が比較的多く縁組の選択肢となりえた(当然ながら近親婚となる)他、バイエルンヴィッテルスバッハ家(皇帝を出している)や、家格が高いとは言い難いゴンザーガ家(ただしハプスブルク家とは色濃い血縁関係があった)、プファルツ=ノイブルク家プファルツ系ヴィッテルスバッハ家の分家、のち選帝侯位を継ぐ)、ブラウンシュヴァイク=リューネブルク家(プロテスタント諸侯の家系、2系統の一方に新設の選帝侯位が与えられた)からも妃を迎えている。プファルツ=ノイブルク家からはカルロス2世妃マリアナも出ている。
  7. ^ しかもカルロス1世の代ですでにいとこ婚を行っている。

出典

  1. ^ Monarchia Hispanica.google.com, Monarchia Hispaniae. digital.ub.uni.
  2. ^ Reyno de España, google.com
  3. ^ Kamen, H. (2005). Spain 1469–1714: A Society of Conflict. Routledge:Oxford. p. 37 
  4. ^ “スペイン・ハプスブルク家、断絶の原因は「近親婚」か 研究結果”. AFPBB News (マドリード/スペイン). (2009年4月16日). https://www.afpbb.com/articles/-/2592887?pid=4035719 2011年10月14日閲覧。 


「スペイン・ハプスブルク朝」の続きの解説一覧

スペイン・ハプスブルク家(1504年 - 1700年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/08/12 17:25 UTC 版)

スペインの国章」の記事における「スペイン・ハプスブルク家(1504年 - 1700年)」の解説

イザベル1世死後フェリペ1世フィリップ美公)は即座に自らの権利主張しカスティーリャ王僭称した。その際カトリック両王紋章を自らの紋章取り込んだ彼の紋章成り立ちクォータリー形式以下の通り左上右下カトリック両王紋章右上左下グランド・クォータリー形式左上オーストリア右上古代ブルグント王国紋章左下ブルゴーニュ公国右下ブラバント公国紋章右上左下中央には、パー・ペイルの形式フランドル伯チロル紋章組み合わせたものを配置カルロス1世神聖ローマ皇帝カール5世)は時代が進むにつれて自らの紋章変えていった。治世最初の年は、父フィリップ美公と同じ紋章用いた1519年神聖ローマ皇帝選ばれた後、その紋章戴冠した双頭の鷲の胸に配置したものを新たな紋章とした。伝統的に神聖ローマ皇帝双頭の鷲紋章としていたためである(ドイツの国章参照)。その後、その紋章簡略化し、パー・フェスの形式上部カトリック両王紋章下部オーストリア紋章配置したものを作成した。このバージョンネーデルラント人気があった。そのうち金羊毛騎士団勲章が盾を囲むように配置されるようになったカルロス1世長い治世で、たくさんのバリエーション紋章作られている。アラゴン地方領土の変遷紋章にも反映されている。1520年には、カトリック両王紋章部分右上左下アラゴンシチリア)が、ティアスト・パー・ペイル形式アラゴンエルサレムハンガリー紋章組み合わさったものに置き換えられた。1530年以降バージョンクォータリー形式以下の通り左上右下グランド・クォータリー形式左上右下カスティーリャレオン右上左下にパー・ペイルの形式で、左側アラゴンナバラ右側エルサレムハンガリーの国章組み合わせたもの。 右上左下オーストリア紋章下部グラナダ国章配置したもの。 戴冠した双頭の鷲の胸に配置され金羊毛騎士団勲章が盾を囲むように配置されている。 両脇ヘラクレスの柱配置されPLUS ULTRAプルス・ウルトラ)の文字記されている。 他方シチリアカルロス1世用いた紋章クォータリー形式以下の通りである。 左上右下カスティーリャレオン紋章組み合わせたもの。 右上ティアスト・パー・ペイル形式アラゴンエルサレムハンガリー紋章配置したもの。 右下はパー・ペイルの形式アラゴンシチリア紋章配置、その下部グラナダ国章配置したもの。 戴冠した双頭の鷲の胸に配置されている。 晩年用いた紋章クォータリー形式以下の通りである。 左上カスティリャレオン紋章組み合わせたもの。 右上グランド・クォータリー形式左上右下アラゴン右上シチリア右下ナバラ紋章組み合わせたもの。 左下オーストリア紋章右下はパー・ペイルの形式エルサレムハンガリー紋章組み合わせたもの。 全体下部にはグラナダ紋章配置し背後には戴冠した双頭配置した

※この「スペイン・ハプスブルク家(1504年 - 1700年)」の解説は、「スペインの国章」の解説の一部です。
「スペイン・ハプスブルク家(1504年 - 1700年)」を含む「スペインの国章」の記事については、「スペインの国章」の概要を参照ください。

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