スペイン・ハプスブルク朝
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スペイン・ハプスブルク朝は、16世紀から18世紀にかけて、ハプスブルク家のスペイン分家の王が支配した広大な領土[注釈 3]を指す現代史学用語である[注釈 4]。ハプスブルクのスペイン語名によりアブスブルゴ朝とも呼ばれる。
注釈
- ^ Also known as Kingdom of Spain (Old Spanish: Reyno de España (often also spelled, Eſpana, Eſpaña or Eſpanna), Modern Spanish: Reino de España).[2]
- ^ In modern Spanish: Monarquía de España.
- ^ 現代のスペイン、フランス南東部の一部、イタリアの主に南部、最終的にはポルトガル、その他イベリア半島以外の多くの土地を含む。
- ^ 中・東欧史におけるその役割も関連している。
- ^ 主にカルロス1世とフェリペ2世
- ^ これはスペイン・ハプスブルク家に関して、しかも末期を除いてであり、オーストリア・ハプスブルク家は分家が比較的多く縁組の選択肢となりえた(当然ながら近親婚となる)他、バイエルン系ヴィッテルスバッハ家(皇帝を出している)や、家格が高いとは言い難いゴンザーガ家(ただしハプスブルク家とは色濃い血縁関係があった)、プファルツ=ノイブルク家(プファルツ系ヴィッテルスバッハ家の分家、のち選帝侯位を継ぐ)、ブラウンシュヴァイク=リューネブルク家(プロテスタント諸侯の家系、2系統の一方に新設の選帝侯位が与えられた)からも妃を迎えている。プファルツ=ノイブルク家からはカルロス2世妃マリアナも出ている。
- ^ しかもカルロス1世の代ですでにいとこ婚を行っている。
出典
- ^ Monarchia Hispanica.google.com, Monarchia Hispaniae. digital.ub.uni.
- ^ Reyno de España, google.com
- ^ Kamen, H. (2005). Spain 1469–1714: A Society of Conflict. Routledge:Oxford. p. 37
- ^ “スペイン・ハプスブルク家、断絶の原因は「近親婚」か 研究結果”. AFPBB News (マドリード/スペイン). (2009年4月16日) 2011年10月14日閲覧。
- 1 スペイン・ハプスブルク朝とは
- 2 スペイン・ハプスブルク朝の概要
- 3 歴代君主
- 4 関連項目
スペイン・ハプスブルク家(1504年 - 1700年)
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「スペインの国章」の記事における「スペイン・ハプスブルク家(1504年 - 1700年)」の解説
イザベル1世の死後、フェリペ1世(フィリップ美公)は即座に自らの権利を主張し、カスティーリャ王を僭称した。その際、カトリック両王の紋章を自らの紋章に取り込んだ。彼の紋章の成り立ちはクォータリーの形式で以下の通り。 左上と右下はカトリック両王の紋章。 右上と左下はグランド・クォータリーの形式で左上にオーストリア、右上に古代ブルグント王国の紋章、左下にブルゴーニュ公国、右下にブラバント公国の紋章。 右上と左下の中央には、パー・ペイルの形式でフランドル伯とチロルの紋章を組み合わせたものを配置。 カルロス1世(神聖ローマ皇帝カール5世)は時代が進むにつれて自らの紋章を変えていった。治世最初の年は、父フィリップ美公と同じ紋章を用いた。1519年に神聖ローマ皇帝に選ばれた後、その紋章を戴冠した双頭の鷲の胸に配置したものを新たな紋章とした。伝統的に神聖ローマ皇帝は双頭の鷲を紋章としていたためである(ドイツの国章を参照)。その後、その紋章を簡略化し、パー・フェスの形式で上部にカトリック両王の紋章、下部にオーストリアの紋章を配置したものを作成した。このバージョンはネーデルラントで人気があった。そのうち、金羊毛騎士団の勲章が盾を囲むように配置されるようになった。 カルロス1世の長い治世で、たくさんのバリエーションの紋章が作られている。アラゴン地方の領土の変遷が紋章にも反映されている。1520年には、カトリック両王の紋章部分の右上と左下(アラゴンとシチリア)が、ティアスト・パー・ペイルの形式でアラゴン、エルサレムとハンガリーの紋章が組み合わさったものに置き換えられた。1530年以降のバージョンはクォータリーの形式で以下の通り。 左上と右下はグランド・クォータリーの形式で左上と右下にカスティーリャとレオン、右上と左下にパー・ペイルの形式で、左側がアラゴンとナバラ、右側がエルサレムとハンガリーの国章を組み合わせたもの。 右上と左下がオーストリアの紋章の下部にグラナダの国章を配置したもの。 戴冠した双頭の鷲の胸に配置され、金羊毛騎士団の勲章が盾を囲むように配置されている。 両脇にヘラクレスの柱が配置され、PLUS ULTRA(プルス・ウルトラ)の文字が記されている。 他方シチリアでカルロス1世が用いた紋章はクォータリーの形式で以下の通りである。 左上と右下はカスティーリャとレオンの紋章を組み合わせたもの。 右上はティアスト・パー・ペイルの形式でアラゴン、エルサレム、ハンガリーの紋章を配置したもの。 右下はパー・ペイルの形式でアラゴン、シチリアの紋章を配置、その下部にグラナダの国章を配置したもの。 戴冠した双頭の鷲の胸に配置されている。 晩年に用いた紋章はクォータリーの形式で以下の通りである。 左上はカスティリャとレオンの紋章を組み合わせたもの。 右上はグランド・クォータリーの形式で左上と右下にアラゴン、右上にシチリア、右下にナバラの紋章を組み合わせたもの。 左下はオーストリアの紋章。 右下はパー・ペイルの形式でエルサレムとハンガリーの紋章を組み合わせたもの。 全体の下部にはグラナダの紋章を配置し、背後には戴冠した双頭の鷹を配置した。
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