カトリック両王
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/07 07:22 UTC 版)
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カトリック両王(カトリックりょうおう、スペイン語: Reyes Católicos)は、歴史的にアラゴン王フェルナンド2世(Fernando el Católico)とカスティーリャ女王イサベル1世(Isabel la Católica)を指す。彼らは1469年に結婚し、後に彼らの子孫の下で王朝連合国家としてのスペイン王国が成立する。カトリック王の称号はローマ教皇アレクサンデル6世によって授けられた。
両王の統治時代はレコンキスタの末期であり、また2人が出資したクリストファー・コロンブスの西半球、新世界の発見により、その統治は更に強固になった。スペインはローマ・カトリックの保護者となり、カトリックの護持のために対抗改革や、植民地の先住民に対する布教などの主導者となった。国内的にはイスラム教徒やユダヤ教徒に対する弾圧を行ったため、現在ではスペイン・イスラーム文明の豊かな資本を破壊し、その後の新大陸での蛮行や、スペイン没落に通ずる道を開いたのだと批判する学者もいる。
なお、現在のスペイン王室は両王の次女フアナ[1]と三女マリア[2]の血統にあたる。
脚注
カトリック両王
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 12:19 UTC 版)
1469年、カスティーリャ王国の王女イサベル1世とアラゴン王国王太子フェルナンド2世が結婚した。後にカトリック両王となった2人は、ポルトガル以外のイベリア半島の諸国を統合してスペイン王国を成立させた。 「複合王政(モナルキーア・コンプエスタ)」として誕生したスペイン王国を統治するため、カトリック両王は、「言語も風習も制度も異なる」諸地域の統合手段として、キリスト教君主として布教保護権を前面に打ち出した。王国の高位聖職者の推挙権を手に入れて、司教たちを王権に従属させ、3大宗教騎士団をその管轄下に組み入れるとともに、フランシスコ・ヒメネス・デ・シスネロス枢機卿らを重用して修道院改革を進めた。
※この「カトリック両王」の解説は、「布教保護権」の解説の一部です。
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