カトリック・ワーカー運動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/20 04:03 UTC 版)
「ヒサエ・ヤマモト」の記事における「カトリック・ワーカー運動」の解説
一方、ニューヨーク市のカトリック・ワーカー運動(英語版)のコミュニティが発行する新聞『カトリック・ワーカー(英語版)』を定期購読していたヤマモトは、1950年代中頃にスタテンアイランドのカトリック・ワーカー農場でボランティアとして働き、以後、この運動の非暴力、絶対的平和主義の理念に惹かれて、養子のポールと共にコミュニティでの生活を続け、ポールはドロシー・デイの孫たちと共に育った。こうした活動から、ヤマモトはしばしば、「カトリックか」という質問を受けるが、「特に宗派はない。両親は仏教徒だった」と話している。また、後にカトリック(さらにプロテスタント)になったポールがよく「私はカトリック、母はワーカー」と言っていたように、「鶏やうさぎに餌をやったり、他にやる人がいないときには食事を作ったり、食器棚を掃除したり、衣類を片付けたりしながら」、『カトリック・ワーカー』の記事を書いていた。さらに、「イエスは神の子」だと思うし、「政府は小さい方が良く、小集団(コミュニティ)の相互合意に基づく政府が民主主義の理想的なあり方」だと考えるので、「私はキリスト教アナキストを自称している」と話している。 このコミュニティでアンソニー・デソートに出会い、1955年に結婚。ロサンゼルスに戻り、4子をもうけた。
※この「カトリック・ワーカー運動」の解説は、「ヒサエ・ヤマモト」の解説の一部です。
「カトリック・ワーカー運動」を含む「ヒサエ・ヤマモト」の記事については、「ヒサエ・ヤマモト」の概要を参照ください。
- カトリック・ワーカー運動のページへのリンク