ひ‐ぼうりょく【非暴力】
非暴力
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/19 05:47 UTC 版)
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非暴力(ひぼうりょく、英:Nonviolence)とは、体制変革における理念のひとつであり、ハト派で、抑圧を受けている民衆が政治体制の変革を求めるにあたって、戦闘的、暴力的に支配者を倒すことではなく、粘り強く、弾圧されても決して屈せずに、言論を以って変革の必要を主張し続けることである。
思想の根源


非暴力主義思想の根源は、仏教やジャイナ教、新約聖書に書かれたイエス・キリストの言葉等に見る事が出来る。
最古の仏典スッタニパータでは「生きものをみずから害してはならない。また他人に殺させてはならない。また他の人々が殺害するのを容認してはならない」と説かれている。原始仏教の僧団規定によると、出家修行者は出征軍を観てもならず、特別の理由で軍隊に止宿せざるを得なかった場合、二、三夜ほどなら許されるが、その間も整列・配置・閲兵式を観ることが禁じられていた[1]。
マタイによる福音書には「悪人に手向かってはならない」「剣を鞘におさめよ。剣による者は、みな剣によって滅びる」と説かれている。初期のキリスト教指導者には軍隊に入ることを否定した者が多く、特にオリゲネスは鮮明に非戦を表明した。また使徒行伝には、一、二世紀にローマ軍への勤務を拒否したために迫害を受けた受難者の例が多数ある。
道教にも、ジャイナ教のアヒンサーに似た、非常に厳格な不殺生の規定が存在する。
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近代における非暴力主義

近代において非暴力主義を唱えた思想家の一人は晩年のトルストイで、非暴力主義の代表的な思想家として想起されるガンディーがトルストイの非暴力主義に大きな影響を受けて居た事は、トルストイの思想家としての重要性を示している。

ガンディーは大英帝国に植民地化されたインドで非暴力(サティヤーグラハ)による独立運動を続けて、ついには独立を達成した。これが端緒となり米国の黒人差別やミャンマーの軍事独裁政権に対する抵抗の場でも実践された。
関連項目
- マーティン・ルーサー・キング・ジュニア(キング牧師)
- ダライ・ラマ14世
- クエーカー
- メノナイト
- プリマス・ブレザレン
- イザヤ書
- 原始キリスト教
- アーミッシュ
- アヒンサー
- 仏教と暴力
- 平和主義
- 良心的兵役拒否
- 市民的不服従
- 非暴力不服従
- 無防備都市宣言
- 日本国憲法第9条
- 国際非暴力デー
脚注
外部リンク
非暴力
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 05:20 UTC 版)
「マハトマ・ガンディー」の記事における「非暴力」の解説
非暴力(アヒンサー;अहिंसा)の概念はインド宗教史上長い歴史を持ち、ヒンドゥー教、仏教(仏陀に代表される)、ジャイナ教の伝統において何度も甦った。また、彼の非暴力抵抗の思想は、『新約聖書』や『バガヴァッド・ギーター』の教えに特に影響されている。自らの思想と生き方を、ガンディーは自叙伝の中で書いている。以下にガンディーが語った言葉からの引用を列記する。 「私は失望したとき、歴史全体を通していつも真理と愛が勝利をしたことを思い出す。暴君や殺戮者はそのときには無敵に見えるが、最終的には滅びてしまう。どんなときも、私はそれを思うのだ」。 「狂気染みた破壊が、全体主義の名のもとで行われるか、自由と民主主義の聖なる名のもので行われるかということが、死にゆく人々や孤児や浮浪者に対して、一体何の違いをもたらすのであろうか」。 「“目には目を”は全世界を盲目にしているのだ」。 「私には人に命を捧げる覚悟がある。しかし、人の命を奪う覚悟をさせる大義はどこにもない」。 また、ガンディーは自分の非暴力の信条を実行に移すとき、彼は極限まで論理的につきつめることを辞さなかった。1940年にナチス・ドイツ軍がイギリス本土に侵入しようとした時、ガンディーはイギリス国民に次のように助言した。 持っている武器を下に置いてほしい。武器はあなた方を、ないしは人類を、救う役には立たないのだから。あなた方はヘル・ヒトラーとシニョール・ムッソリーニを招きいれることになるだろう。あなた方の国、あなた方が自分たちのものと称している国から、かれらは欲しいものを持っていってしまうだろう。もしこの紳士たちがあなた方の故郷を占領したなら、あなた方は立ち退くことになる。もし、かれらが脱出を許さなかったなら、あなた方は男も女も子どもも、虐殺されることになる。しかしあなた方は、かれらに忠誠を尽くすことは拒むだろう また、1946年6月、ガンディーは伝記作者ルイ・フィッシャーにこう語っている。 ヒトラーは500万人のユダヤ人を殺した。これは我々の時代において最大の犯罪だ。しかしユダヤ人は、自らを屠殺人のナイフの下に差しだしたのだ。かれらは崖から海に身投げすべきだった。英雄的な行為となっただろうに。 ガンディーはこうも言っている。 わたしの信念によると、もし、臆病と暴力のうちどちらかを選ばなければならないとすれば、わたしはむしろ暴力をすすめるだろう。インドがいくじなしで、はずかしめに甘んじて、その名誉ある伝統を捨てるよりも、わたしはインドが武器をとってでも自分の名誉を守ることを望んでいる。しかし、わたしは非暴力は暴力よりもすぐれており、許しは罰よりも、さらに雄雄しい勇気と力がいることを知っている。しかし、許しはすべてにまさるとはいえ、罰をさしひかえ、許しを与えることは、罰する力がある人だけに許されたことではないだろうか。
※この「非暴力」の解説は、「マハトマ・ガンディー」の解説の一部です。
「非暴力」を含む「マハトマ・ガンディー」の記事については、「マハトマ・ガンディー」の概要を参照ください。
「非暴力」の例文・使い方・用例・文例
- 非暴力主義者のマハトラ・ガンジーは1869年に生まれた。
- 非暴力というのは私の信仰の第1条だ。
- 彼は、どこへ出かけていっても、愛、忍耐、そしてとりわけ非暴力を説いた。
- ガンジーは死ぬまで非暴力抵抗の理念を貫いた.
- 政府は非暴力的に打ち倒されたが、独裁者は殺された
- 英国の規則に反対するためにそして、政治改革を加速させるためにマハトマ・ガンジーによってインドで始まった非暴力的な抵抗の形
- 非暴力の抵抗を実行する
- サルボダヤ運動という,仏教精神に基づいた非暴力の草の根運動
- サチャグラハという,ガンジーの行った非暴力不服従運動
- ガンディーは南アフリカでの闘争中に非暴力主義の基礎を築いたと言われており,この書簡は彼の思想がどのように展開したかを示すだろう。
- 彼女たちは平和と女性の権利のための非暴力活動を理由に同賞を贈られた。
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