カトリックへの転向
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/07 05:34 UTC 版)
「ライハウス陰謀事件」の記事における「カトリックへの転向」の解説
1660年に王政復古が成立してイングランドにはひとまずの平和が取り戻されたが、即位したチャールズの施策はフランスなどカトリック勢力寄りではないかとの懸念が議会・市民の間で広がっていた。この当時イングランドではカトリックやルイ14世などが唱道する絶対王政への反感が根強く、このことが王位継承問題への関心を喚起した。メアリー1世の記憶もいまだ褪せていないイングランドにおいて、急進的勢力はカトリックの王が戴冠するのは避けられるべきであると考えていた。 チャールズやジェームズはイングランド国教会を信仰していることになってはいたが、カトリックへの敵意までは持ち合わせていなかった。さらに急進派を憂慮させたのは、ジェームズが1670年、カトリックへの改宗を公言したことであった。ジェームズはルイ14世の紹介により、メアリー・オブ・モデナと再婚した。イングランド王室は、議会や市民の反発をよそに、カトリック勢力への参加を志向しているように思われた。
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