修道院改革
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 12:23 UTC 版)
修道院改革(しゅうどういんかいかく)は、中世ヨーロッパにおける修道院改革運動で、特に10世紀から11世紀にかけてのクリュニー修道院での改革が著名である[1]。修道院はシモニア(聖職売買)がはびこったり、司祭が結婚するなど腐敗していると改革者にみなされ、聖ベネディクトゥス会則の厳格な遵守によって清められた[2]。
- ^ a b c 日本大百科全書(ニッポニカ)「クリュニー修道院改革運動」
- ^ a b 世界大百科事典「キリスト教」
- ^ 日本で「ヒルサウ」と記されることが多い Hirsau は、 Duden 発音辞典によれば、標準ドイツ語では 「ヒルザウ」となる。ドイツ南西部、 北シュヴァルツヴァルト(Nordschwarzwald)、ヘルマン・ヘッセ誕生の地カルフ(Calw)の北約 3㎞ にある。同名修道院は、830年貴族の私有修道院として創設され、1069年以降クリュニー改革の影響を受けて改革され、その後この修道院の傘下には約150 の修道院が入るまでになった。- 今野国男『修道院』(世界史研究双書⑦)近藤出版社 1971年、200-206頁。- 今野國男『修道院』岩波新書(黄版)151 1981年、123頁。- Lexikon des Mittelalters. Bd. V. München/Zürich: Artemis & Winkler 1991 (ISBN 3-8508-8905-X), Sp. 35-36.
- ^ a b 堀米庸三「グレゴリウス改革と叙任権闘争」(『岩波講座(旧)世界歴史10』所収)
- ^ 野口洋二 1978, pp. 80–81.
- ^ 野口洋二 1978, p. 93.
- ^ 鈴木宣明 1994, pp. 16–17.
- ^ 野口洋二 1978, pp. 62–66.
- ^ 小崎閏一「シュジェ・ド・サン=ドニの修道院統治」研究紀要. 鹿児島女子大学=Research bulletin of Kagoshima Women's College 3(1), 129-138, 1982-03-31
- ^ 関口武彦「教皇改革」山形大学紀要41-2,2011年
- 1 修道院改革とは
- 2 修道院改革の概要
- 3 参考文献
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