双頭の鷲とは? わかりやすく解説

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そうとう‐の‐わし〔サウトウ‐〕【双頭の×鷲】

読み方:そうとうのわし

頭が二つある二つ権威一つのからだに有していることの象徴として古く神聖ローマ帝国ロシア帝国ロマノフ朝オーストリア帝国などの紋章描かれまた、現在でもアルバニアの国旗使われている。

[補説] 書名別項。→双頭の鷲


そうとうのわし〔サウトウのわし〕【双頭の鷲】


双頭の鷲

作者速瀬れい

収載図書獣人異形コレクション
出版社光文社
刊行年月2003.3
シリーズ名光文社文庫


双頭の鷲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/15 19:25 UTC 版)

セルジューク朝の紋章(11–12世紀)
1370年代に描かれた、教会会議を主宰する東ローマ皇帝ヨハネス6世カンタクゼノス。彼の足元に金の双頭の鷲が描かれている。
ルーマニアの教会の壁掛け(1493年創建、ボルゼシュティの主の御母生神女就寝教会(ルーマニア語)

双頭の鷲(そうとうのわし、ギリシア語: Δικέφαλος αετόςドイツ語: Doppeladler英語: Double-headed eagle)とは、鷲の紋章の一種で、頭が2つある紋章

主に東ローマ帝国神聖ローマ帝国と、関連したヨーロッパ国家貴族などに使用された。現在でもセルビアアルバニアロシアなどの国章[1]や、ギリシャ正教会などで使用されている。

歴史

「双頭の鷲」自体は古来より存在する紋章で、知られている最古の図像は、紀元前3,800年頃のシュメールラガシュの都市神ニンギルスに関するものである。一説には、「双頭の鷲」と「単頭のライオン頭の鷲」は、同じものを表していると考えられている。紀元前32世紀のエジプト[注釈 1]、20世紀から7世紀の間のシュメールや、現在のトルコ地域のヒッタイトでも使用された[要出典]。また11-12世紀のセルジューク朝でも使用された。タキシラパキスタン)の世界遺産に指定されたシルカップの寺院遺跡に浮き彫りが残る[2][3]南アメリカにはメキシコに伝わる紋章の例がある[4]

「ローマ」の象徴として

ローマ帝国国章は単頭の鷲の紋章であったが、その後も帝国の権威の象徴として使われ続け[注釈 2]、13世紀の東ローマ帝国末期のパレオロゴス王朝時代に「双頭の鷲」の紋章が採用された。この紋章は元々はパレオロゴス家の家紋との説もある[要出典]。東ローマ帝国における「双頭」は、「西」と「東」の双方に対するローマ帝国の支配権を表したが、実際には「西」すなわち過去の西ローマ帝国領土の支配権を既に失いつつある時代に相当する[要出典]

「ローマの後継者」の象徴として

「東ローマの後継者」の象徴として

東ローマ帝国の「双頭の鷲」は、ギリシャ正教会コンスタンティノープル総主教庁セルビアアルバニアロシアなどに継承された。セルビアの王は「ツァリ」「バシレイオス」と「皇帝」を名乗り東ローマに対抗した。セルビアの「双頭の鷲」の多くは白色である。ロシアは東ローマ滅亡後に、皇帝家の皇女を妃に迎えたことを根拠に東ローマの後継者を自任し「ツァーリ」「インペラトール」と「皇帝」を名乗った。

「西ローマの後継者」の象徴として

またローマ帝国の継承を自負する神聖ローマ帝国ハプスブルク家の紋章となり、更にオーストリア帝国[5]オーストリア=ハンガリー帝国[5]ドイツ国などに継承された[6]

1472年には東ローマ帝国の姫ゾイ・パレオロギナを迎えたロシア帝国も「双頭の鷲」を採用した。東ローマ帝国滅亡後は、ロシア帝国もローマ帝国の後継を自負し、その「双頭」は、「東」(アジア)と「西」(ヨーロッパ)に渡る統治権を表した。また16世紀にハプスブルク家出身で神聖ローマ帝国皇帝となったスペイン国王カール5世(カルロス1世)によりスペインの国章にも一時使用された。これらハプスブルク家関連の「双頭の鷲」の多くは黒色である。

20世紀での廃止と21世紀での復活

20世紀前半に、ロシアはロシア革命によりソビエト連邦に、セルビアやドイツ東部(東ドイツ)は第二次世界大戦の結果として社会主義国となり、「双頭の鷲」は皇帝の象徴として国章から削除された[7]。社会主義国では孤立するアルバニアのみ掲げた。しかし1990年代のソビエト連邦の崩壊東欧革命により、それぞれ復活された。

またオーストリアは1918年の共和政以降の国章は「双頭」ではなく単なる「単頭」の鷲である。またワイマール共和国ドイツ連邦共和国も「双頭」ではなく「単頭」の鷲を国章に採用している。

双頭の鷲のジェスチャー

左右の手の甲を交差させ左右の親指が鷲の双頭、のこる左右の指が翼を表す「双頭の鷲ジェスチャー」がある。2018 FIFAワールドカップサッカースイス代表の選手でコソボ出身2人グラニト・ジャカジェルダン・シャチリが試合中に「双頭の鷲のジェスチャー」をしたために「試合中の政治的行為」とみなされたことがある。双頭の鷲がアルバニアセルビアの国章に使用されており、コソボ問題に関する政治主張とみなされたためである[8][注釈 3]

東ローマ帝国関連

ロシア帝国関連

神聖ローマ帝国関連

類似の例

参考文献

主な執筆者の順。

下エジプト(ナカダ3期
  • 外務省調査局『ソ連の話』霞関会、東京〈世界の話 第3輯〉、1949年、6-9(0010.jp2–0011.jp2)、12(0013.jp2)頁。doi:10.11501/1169203全国書誌番号:45041481 
    • 「第1章ソ連の生れるまで§4. 双頭の鷲」
    • 「同§6. 赤旗ひるがえる」
  • 清水威久「ソ連邦の歴史的考察」『ソ連邦とロシア人』河出書房〈名市民文庫 ; 第131〉、1952年、57-75頁。doi:10.11501/2993751  国立国会図書館デジタルコレクション
    • 「1. 双頭の鷲から赤旗まで」58頁(0032.jp2)
    • 「双頭の鷲飛び來る」(0032.jp2) 「ロマノフ朝と革命運動」(0034.jp2)
  • 造幣局 編「澳地利」『各国貨幣の模様調査資料』造幣局、1930 昭和5年、102-108、112頁(96–101コマ)頁。 国立国会図書館デジタルコレクション NDLJP:1465903
    • 1753年、104-105頁(97–98コマ):D. グルデン・ターラー……背面、帝国の雙頭の鷲。銘文。「ロンバルデー、ベネチエン、ダルマチエン、
    • 1780年、102-103頁(96コマ)C. マリア・テレジア・ターラー(いわゆる東洋ターラー)……王冠を被れる雙頭の鷲。銘文。 ARCHID 「墺地利大公妃、ブルグント公夫人、チロール伯爵夫人
    • 1800年、107-108頁(98–99コマ):H. 3クロイチェル……數字「33」を記せる雙頭の鷲、鑄造年号を左右に「18」と「00」とに分つ。
    • 1860年、107頁(98コマ):G. 4クロイチェル……表面、王冠を被れる雙頭の鷲。銘文。 K.K. OESTERREICH
    • 1892年、112頁(101コマ):N. 1ヘラー……表面、雙頭の鷲、銘文無し。背面、飾模様
  • 二村久則、川田玲子「メキシコ紋章《鷲・サボテン・蛇》」(pdf)『言語文化論集』第21巻第2号、名古屋大学大学院国際言語文化研究科、2000年3月8日、209-232頁、CRID 1390290699633146112doi:10.18999/stulc.21.2.209ISSN 0388-6824  国立国会図書館デジタルコレクション NDLJP:8690977
  • フレッチャー(Fletcher, Baniste) 著、飯田喜四郎 監訳、片木篤ほか 訳「シルカップ、双頭の鷲の祠堂」、ダン・クリュックシャンク(Cruickshank, Dan) 編『フレッチャー図説世界建築の歴史大事典 : 建築・美術・デザインの変遷』西村書店東京出版編集部、2012年11月、799頁。 
  • リヒャルト・ワーグナー「 (19)『双頭の鷲の旗の下に』(参考曲1)」『小学生の音楽4 観賞用CD』教育芸術社、2002年3月。国立国会図書館書誌ID:000004027188  [録音資料]:NCS-1024:平成14–16年度用:録音ディスク1枚

脚注

注釈

  1. ^ 英語版の記事ファラオの一覧(英語)の下エジプトの項に、類似の図案(ナカダ3期)を確認できる。
  2. ^ 一説には、イサキオス1世コムネノスが「単頭の鷲」を故郷アナトリアの聖獣である「双頭の鷲」に変更させたとする言い伝えがある[要出典]
  3. ^ なお開催国ロシアも国章は双頭の鷲である。

出典

  1. ^ 外務省 1949, pp. 6–9, 「第1章ソ連の生れるまで§4. 双頭の鷲」
  2. ^ タキシラ”. www.saiyu.co.jp. パキスタンみどころ(観光)MAP. 西遊旅行. 2023年11月23日閲覧。
  3. ^ フレッチャー 著 & クリュックシャンク 編, p. 799, 「シルカップ、双頭の鷲の祠堂」
  4. ^ 二村 & 川田 2000, pp. 209–232
  5. ^ a b 造幣局 1930, pp. 102-108、112(96–101コマ)
  6. ^ ワーグナー & 教育芸術社 2002, p. (19), 『双頭の鷲の旗の下に』(参考曲1)
  7. ^ 外務省 1949, pp. 12, 「§6. 赤旗ひるがえる」
  8. ^ サッカー : スイス逆転勝ち立役者、ジャカとシャキリ“双頭の鷲ジェスチャー”の意味」『スポーツ報知』、2018年6月23日。2023年11月23日閲覧。

関連項目

外部リンク


双頭の鷲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/09 04:56 UTC 版)

鷲 (紋章)」の記事における「双頭の鷲」の解説

詳細は「双頭の鷲」を参照 双頭の鷲は、特に東ローマ帝国神聖ローマ帝国関連して使われた。 パレオロゴス家東ローマ帝国エンブレム セルビアの国章 アルバニアの国章 ハプスブルク家神聖ローマ帝国紋章 ロシア連邦の国章(2000年-)

※この「双頭の鷲」の解説は、「鷲 (紋章)」の解説の一部です。
「双頭の鷲」を含む「鷲 (紋章)」の記事については、「鷲 (紋章)」の概要を参照ください。

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