レナータ・フォン・ロートリンゲンとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > レナータ・フォン・ロートリンゲンの意味・解説 

レナータ・フォン・ロートリンゲン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/11 16:40 UTC 版)

レナータ・フォン・ロートリンゲン
Renata von Lothringen

出生 (1544-04-20) 1544年4月20日
神聖ローマ帝国
ロレーヌ公領ナンシー
死去 (1602-05-22) 1602年5月22日(58歳没)
神聖ローマ帝国
バイエルン公領ミュンヘン
埋葬 神聖ローマ帝国
バイエルン公領ミュンヘン、聖ミヒャエル教会
配偶者 バイエルン公ヴィルヘルム5世
子女 一覧参照
家名 ロレーヌ家
父親 ロレーヌ公フランソワ1世
母親 クリスティーヌ・ド・ダヌマルク
テンプレートを表示

レナータ・フォン・ロートリンゲン(Renata von Lothringen, 1544年4月20日 - 1602年5月22日)は、バイエルン公ヴィルヘルム5世の妃。フランス語名ではルネ・ド・ロレーヌ(Renée de Lorraine)。

生涯

ロレーヌ公フランソワ1世と妃クリスティーヌ・ド・ダヌマルクの長女として、ナンシーで生まれた。

1560年代初め、ルター派であるスウェーデンエリク14世が、レナータに結婚の申し込みをすべく使者を送ってきた。エリクはそれまでも他の王族との結婚を画策してきたが全て失敗に終わっており、結局身分の低い愛妾カリン・モンスドッテルと正式に結婚した。レナータを結婚相手にと願ったエリクの狙いは、彼女がデンマーク・スウェーデン・ノルウェーの王だった廃王クリスチャン2世の孫娘にあたるため、自分の王位を堅固にすることであった。

エリクとの結婚はなかったが、およそ300年後にバイエルン選帝侯家を通じてレナータの子孫であるロイヒテンベルク公女ジョゼフィーヌがスウェーデン王太子オスカル(のちのオスカル1世)と結婚した。ジョゼフィーヌを通じて、現在のスカンディナヴィアの3王家にはレナータの血が流れていることになる。

1568年2月22日、ヴィルヘルムと結婚。ミュンヘンで行われた式の盛大さを、細部にわたってマッシモ・トロイアーノが著書『ディアロギ』(1569年)に書き残している。

子女




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「レナータ・フォン・ロートリンゲン」の関連用語

レナータ・フォン・ロートリンゲンのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



レナータ・フォン・ロートリンゲンのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのレナータ・フォン・ロートリンゲン (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS