クリスティーナ・ディ・ロレーナとは? わかりやすく解説

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クリスティーナ・ディ・ロレーナ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/07 03:08 UTC 版)

クリスティーナ・ディ・ロレーナ
Cristina di Lorena
トスカーナ大公妃
在位 1589年 - 1609年

出生 (1565-08-16) 1565年8月16日
ロレーヌ公国
ナンシー
死去 (1637-12-19) 1637年12月19日(72歳没)
トスカーナ大公国
フィレンツェ
埋葬 トスカーナ大公国
メディチ家礼拝堂
結婚 1589年5月3日
トスカーナ大公国
フィレンツェ
配偶者 トスカーナ大公フェルディナンド1世・デ・メディチ
子女 一覧参照
家名 ロレーヌ家
父親 ロレーヌ公シャルル3世
母親 クロード・ド・ヴァロワ
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クリスティーナ・ディ・ロレーナイタリア語: Cristina di Lorena, 1565年8月16日 - 1637年12月19日)は、トスカーナ大公フェルディナンド1世・デ・メディチの妃。フランス語クリスティーヌ・ド・ロレーヌChristine de Lorraine)。

生涯

ロレーヌ公シャルル3世クロード・ド・ヴァロワの娘として、ナンシーで生まれた。

1589年5月、フェルディナンドと結婚した。祖母カトリーヌ・ド・メディシスはこの結婚を通して孫娘を動かし、スペインではなくフランスメディチ家の結びつきを強めようとした。

1615年にガリレオ・ガリレイが「クリスティーナ大公妃への手紙」を執筆しており、彼女が科学者との交流を保っていたことがうかがえる。

72歳でフィレンツェで没した。

子女

  • コジモ2世・デ・メディチ(1590年 - 1621年)
  • エレオノーラ(1591年 - 1617年)
  • カテリーナ(1593年 - 1629年) マントヴァ公フェルディナンド・ゴンザーガ妃
  • フランチェスコ(1594年 - 1614年)
  • カルロ(1595年 - 1666年) 枢機卿
  • フィリッピーノ(1598年 - 1602年)
  • ロレンツォ(1599年 - 1648年)
  • マリーア・マッダレーナ(1600年 - 1633年)
  • クラウディア(1604年 - 1648年)   




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