コジモ2世とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 実業家 > 貴族 > メディチ家 > コジモ2世の意味・解説 

コジモ2世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/17 23:45 UTC 版)

コジモ2世
Cosimo II
トスカーナ大公
在位 1609年 - 1621年

出生 (1590-05-12) 1590年5月12日
死去 (1621-02-28) 1621年2月28日(30歳没)
配偶者 マリーア・マッダレーナ・ダウストリア
子女 一覧参照
家名 メディチ家
父親 フェルディナンド1世・デ・メディチ
母親 クリスティーナ・ディ・ロレーナ
テンプレートを表示

コジモ2世・デ・メディチ(Cosimo II de' Medici, 1590年5月12日 - 1621年2月28日)は、メディチ家の第4代トスカーナ大公(在位:1609年 - 1621年)。第3代大公フェルディナンド1世・デ・メディチクリスティーナ・ディ・ロレーナとの長男。

生涯

父の死を受けて19歳で大公に即位。ハプスブルク家オーストリア大公カール2世神聖ローマ皇帝フェルディナント1世の三男。皇帝フェルディンナント2世の父)の娘マリーア・マッダレーナ・ダウストリア1608年10月19日に結婚した。

コジモは温厚で教養豊かな人物であり、ガリレオ・ガリレイの最初のパトロンとなるなど、メディチ家の伝統である文化・学術の振興には尽力している。しかし、病弱な上、君主としての資質には乏しく、母クリスティーナや妃のマリアが国政に大きな力を振るった。彼の治世の間、国内の商工業は停滞し、トスカーナ大公国は徐々に衰退していった。

1621年、コジモは31歳で没し、長男のフェルディナンドが後を継いだ。

子女

名前 伊語名 生年月日 死去 備考
マリア・クリスティーナ Maria Cristina 1609年8月24日 - 1632年8月9日
フェルディナンド Ferdinando 1610年7月14日 1670年3月23日 ウルビーノ公フランチェスコ・ウバルド・デッラ・ローヴェレ(Francesco Ubaldo della Rovere)の娘ヴィットーリア・デッラ・ローヴェレ(1622年 - 1694年)と結婚。
ジャンカルロ Giancarlo 1611年7月24日 1663年1月23日 1644年枢機卿に選出。
マルゲリータ Margherita 1612年5月31日 1679年2月6日 1628年10月11日に、パルマ公オドアルド1世・ファルネーゼ1612年 - 1646年)と結婚。
マッテーオ Matteo 1613年4月9日 1617年10月14日
フランチェスコ Francesco 1614年10月16日 1634年7月25日
アンナ Anna 1616年7月21日 1676年9月11日 1646年6月10日オーストリア大公フェルディナント・カール1628年 - 1672年)と結婚。
レオポルド Leopoldo 1617年11月6日 1675年11月10日 1667年枢機卿に選出。

参考文献

先代
フェルディナンド1世
トスカーナ大公
1609年 - 1621年
次代
フェルディナンド2世




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「コジモ2世」の関連用語

コジモ2世のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



コジモ2世のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのコジモ2世 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS