エリザベッタ・テレーザ・ディ・ロレーナとは? わかりやすく解説

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エリザベッタ・テレーザ・ディ・ロレーナ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/24 02:50 UTC 版)

エリザベッタ・テレーザ・ディ・ロレーナ
Elisabetta Teresa di Lorena
サルデーニャ王妃
在位 1737年4月1日 - 1741年7月3日

出生 (1711-10-15) 1711年10月15日
ロレーヌ公国リュネヴィル
死去 (1741-07-03) 1741年7月3日(29歳没)
サルデーニャ王国トリノ
埋葬 サルデーニャ王国トリノ、スペルガ聖堂
結婚 1737年4月1日
配偶者 サルデーニャカルロ・エマヌエーレ3世
子女 カルロ
ヴィットーリア
ベネデット
家名 ロレーヌ家
父親 ロレーヌ公レオポルト
母親 エリザベート・シャルロット・ドルレアン
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エリザベッタ・テレーザ・ディ・ロレーナ(Elisabetta Teresa di Lorena, 1711年10月15日 - 1741年7月3日)は、サルデーニャカルロ・エマヌエーレ3世の3番目の妃。ロレーヌ公レオポルトと妃エリザベート・シャルロット・ドルレアンの娘で、フランス名はエリザベート・テレーズ・ド・ロレーヌ(Élisabeth Thérèse de Lorraine)、ドイツ名はエリーザベト・テレーゼ・フォン・ロートリンゲン(Elisabeth Therese von Lothringen)。兄にのちの神聖ローマ皇帝フランツ1世、弟にオーストリアの将軍やネーデルラント総督を務めたカール(シャルル)がいる。

生涯

リュネヴィル城に生まれる。1737年、ともに母方の従兄妹であるカルロ・エマヌエーレ3世と結婚した。2人の間には2男1女が生まれた。

  • カルロ(1738年 - 1745年)
  • ヴィットーリア(1740年 - 1742年)
  • ベネデット(1741年 - 1808年) - シャブレー公

カルロ・エマヌエーレの最初の妃クリスティーナ・ルイージャ・ディ・バヴィエラ(1704年 - 1723年)、2番目の妃ポリッセナ・ダッシア=ローテンブルグ(1706年 - 1735年)のいずれも早世していたが、エリザベッタ・テレーザも末子ベネデットの出産後間もなく29歳で死去した。

エリザベッタ・テレーザ・ディ・ロレーナ

1711年10月15日 - 1741年7月3日

イタリア王室
先代
ポリッセナ・ダッシア=ローテンブルグ
サルデーニャ王妃英語版
1737年4月1日 – 1741年7月3日
次代
マリーア・アントニア・ディ・スパーニャ




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