ポリッセナ・ダッシア=ローテンブルグとは? わかりやすく解説

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ポリッセナ・ダッシア=ローテンブルグ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 14:21 UTC 版)

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ポリッセナ・ダッシア=ローテンブルグ
Polissena d'Assia-Rotenburg
サルデーニャ王妃
在位 1730年9月3日 - 1735年1月13日

出生 (1706-09-21) 1706年9月21日
神聖ローマ帝国、ランゲンシュヴァルバッハ
死去 (1735-01-13) 1735年1月13日(28歳没)
サルデーニャ王国トリノ
埋葬 1786年8月26日
サルデーニャ王国、トリノ、スペルガ大聖堂
結婚 1724年8月20日 トルン
配偶者 サルデーニャカルロ・エマヌエーレ3世
子女 ヴィットーリオ・アメデーオ3世
エレオノーラ
マリア・ルイーザ・ガブリエラ
マリア・フェリーチタ
エマヌエーレ・フィリベルト
カルロ・フランチェスコ
家名 ヘッセン家
父親 ヘッセン=ローテンブルク辺境伯エルンスト2世レオポルト
母親 エレオノーレ・ツー・レーヴェンシュタイン=ヴェルトハイム=ロシュフォール
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ポリッセナ・クリスティーナ・ダッシア=ローテンブルグ(Polissena Cristina d'Assia-Rotenburg、1706年9月21日 - 1735年1月13日)は、サルデーニャカルロ・エマヌエーレ3世の2度目の妃。ドイツ語ポリクセナ・フォン・ヘッセン=ローテンブルク=ラインフェルス(Polyxena von Hessen-Rotenburg-Rheinfels)。

生涯

ヘッセン=ローテンブルク辺境伯エルンスト2世レオポルトとその妻エレオノーレ・ツー・レーヴェンシュタイン=ヴェルトハイム=ロシュフォールの間の長女として、ランゲンシュヴァルバッハ(現バート・シュヴァルバッハヘッセン州)で生まれる。1724年、トルンでカルロ・エマヌエーレと結婚、6子をもうけた。

  • ヴィットーリオ・アメデーオ3世(1726年 - 1796年) - サルデーニャ王
  • エレオノーラ(1728年 - 1781年)
  • マリア・ルイーザ・ガブリエラ(1729年 - 1767年)
  • マリア・フェリーチタ(1730年 - 1801年)
  • エマヌエーレ・フィリベルト(1731年 - 1735年) - アオスタ公
  • カルロ・フランチェスコ(1733年、夭折)

ポリッセナは1735年に急死し、サン・ジョヴァンニ・バッティスタ聖堂へ埋葬された。1786年、トリノのスペルガ大聖堂へ移葬された。

ポリッセナ・ダッシア=ローテンブルグ

1706年9月21日 - 1735年1月13日

イタリア王室
先代:
アンナ・マリーア・ドルレアンス
サルデーニャ王妃英語版
1730年9月3日 – 1735年1月13日
次代:
エリザベッタ・テレーザ・ディ・ロレーナ



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