セウタとは? わかりやすく解説

セウタ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/09/02 13:43 UTC 版)

セウタ
Ceuta
セウタ市街地
セウタ市街地
セウタの市旗 セウタの市章
市旗 市章
位置
の位置図
歴史
スペイン領となる 1668年1月1日
自治法 1995年3月14日
行政
スペインの旗 スペイン
  セウタ
市長 フアン・ヘスス・ビバス英語版
PP
地理
面積  
  市域 18.5 km2
人口
人口 (2025年[1]現在)
  市域 83,567人
    人口密度   4,517人/km2
その他
等時帯 中央ヨーロッパ時間 (UTC+2)
夏時間 中央ヨーロッパ夏時間 (UTC+2)
公式ウェブサイト : http://www.ceuta.es

セウタ(Ceuta イギリス: [ˈsjtə] [2][3]スペイン語: [ˈθewta]ベルベル語:Sebta、アラビア語: سَبْتَة)は、アフリカ大陸北岸に位置する、スペイン飛び地領土[4]である自治都市。西でモロッコと陸上国境を接し、地中海大西洋の境界線であるジブラルタル海峡東南側に位置する。

メリリャなどとともに、スペインが北アフリカやその沖合の小島に保持している領土(プラサス・デ・ソベラニア)の一つである。セウタは1995年3月14日まではカディス県の一部で、同日、セウタとメリリャの両方に自治権規約が制定された。

セウタはメリリャやカナリア諸島と同様に、スペインが欧州連合(EU)に加盟する前は自由港として分類されていた[5]。セウタの人口は、キリスト教徒イスラム教徒、少数のセファルディム系ユダヤ人、現代のパキスタンから来たシンディ系ヒンズー教徒で構成されている。

公用語スペイン語。また、人口の40 - 50%がモロッコ出身者であるため、アラビア語モロッコ方言も話されている[6][7]

地理

セウタの地図

スペイン軍が駐留するモンテ・アチョ英語版 の周辺に町が広がっている。沖合いの小島、サンタ・カタリーナ島英語版スペイン語版も含まれている。ギリシア神話に登場するヘラクレスの柱は、モンテ・アチョか、セウタから西数kmのモロッコ領のジュベル・ミュザ英語版のことではないかと考えられている。地中海性気候である。三方を海に囲まれているため夏と冬が温暖で、降雨は不定期である。

アフリカ大陸の旧スペイン領モロッコ スペイン保護領モロッコ)の一部にあたるため、メリリャ共々、スペインの植民地(海外領土)と言われることがあるが、スペイン政府は本土と同等の領土と見做している。

なお、1954年に独立したモロッコは、メリリャなどと共に領有を主張しているが、スペイン側は固有の領土として応じていない。

由来

セウタの名は、7人兄弟(の城)(七つの丘のこと)を意味すセプテム・フラトレス(ラテン語: Septem Fratres) から派生したとされる。

歴史

セウタは海上交通また軍事上の要衝として、重視されてきた。紀元前7世紀にはフェニキア人が定住地を築き、アビラと呼んだ。その後この地を占領した古代ギリシア人は、Hepta Adelphoiと呼んだ。紀元前319年にはカルタゴが支配下に置いた。紀元前201年、第二次ポエニ戦争でカルタゴが降伏すると、街はヌミディアへ割譲された。紀元前47年にはマウレタニア領となった。

紀元後40年ローマ皇帝カリグラがマウレタニアを併合し、ローマ属州マウレタニア・ティンギタナの都市になった。このときの名はセプティムという。5世紀半ばにはローマ人の手を離れヴァンダル人の支配に帰したが、ユスティニアヌス1世時代に将軍ベリサリウスが占領し、東ローマ帝国領となった。

水浴するフロリンダ・ラ=カヴァ
彼女が西ゴート王に凌辱されたことがイスラム勢力のスペイン侵攻に繋がった

アラブ世界から領土を広げたイスラム帝国ウマイヤ朝710年に侵攻すると、当時の西ゴート王国セウタ伯ユリアヌス英語版は寝返り、ウマイヤ朝軍に対してイベリア半島への渡海侵略を説いた。アラブ側史料によれば、その背景としてユリアヌスの娘であるフロリンダ・ラ=カヴァスペイン語版が西ゴート王ロデリックに凌辱されたことによる怨恨があると言われている。セウタはまもなくイスラム軍によるイベリア半島攻撃の拠点となった。ユリアヌスの死後、セウタの支配はイスラム側に帰した。

788年、モロッコのイドリース朝がセウタを占領した。931年、後ウマイヤ朝アブド・アッラフマーン3世がイベリア半島にあったカリフ領を征服した。その後、グラナダ王国フェズ王国の係争地となり、カスティーリャ王国アラゴン王国がセウタ攻略に介入することが度々あった。

イスラム勢力はレコンキスタによりイベリア半島から駆逐され、スペイン帝国ポルトガル王国は海外進出に乗り出した。セウタは1415年エンリケ航海王子が奪取し、ポルトガル領となった。この攻撃の目的は、この地域一帯からイスラム勢力を駆逐し、キリスト教を振興することにあった。ポルトガル領だった名残は、セウタの紋章がポルトガル王国の国章に酷似している点に表れている。

1580年、ポルトガルのアヴィス王朝が断絶した後、アブスブルゴ朝スペインフェリペ2世がポルトガル王位を継承し、セウタはスペイン領となった。1668年1月1日リスボン条約英語版でポルトガルの独立が再び認められた際、セウタは正式にポルトガルからスペインに割譲された。

18世紀から、イベリア半島側のジブラルタルを攻略したイギリス海軍が海から、陸からはアラウィー朝がセウタを脅かした。18世紀には4度、モロッコによって包囲されている。

1925年にはカディス県から分離された。1936年にスペイン内戦が勃発すると、スペイン陸軍の反乱部隊が蜂起し、大した抵抗もなく全権を掌握した。スペイン保護領モロッコは、フランシスコ・フランコ率いる反乱軍の根拠地となり、本土での勝利につながった。

1956年のモロッコ独立に際して、セウタ周辺のスペイン領モロッコ はモロッコ領となったが、セウタはメリリャとともにスペイン領として残された。

現代では、セウタはその国際的な性質と、類を見ないヨーロッパの影響で知られ、このため観光客を集めている。

1995年から現在まで、スペインにおけるセウタの行政的地位は、自治権をもつ地方行政区である。スペインが1986年にEUに加盟するまでは自由港だった。現在では欧州通貨制度の中での減税システムをもっている。

モロッコは、スペインがジブラルタルを自国の領土だと主張していることと対比させて、カナリア諸島ならびに自国領土に隣接するセウタおよびメリリャの編入を求めているが、スペイン政府も、セウタ、メリリャの両住民もこれを拒否している。これは、イギリスの海外領土であるジブラルタルが、同国の本土であるグレートブリテン及び北アイルランド連合王国の一部であったことはないのに対し、セウタとメリリャはスペイン国の一部であることに論拠を置いている。

2007年11月5日、スペイン国王フアン・カルロス1世と王妃ソフィアが公式にセウタを訪問した。これに対してモロッコ政府は駐スペイン特命全権大使を召還したため、両国の関係に緊張を招くこととなった[8]

住民

スペイン系のキリスト教徒モロッコ出身者が多数を占めるイスラム教徒の他、ユダヤ人、そして少数のパキスタン人やインド人が暮らす。

交通

スペイン本土のアルヘシラスなどの都市との間には、フェリー便が頻繁に運航されている。イベリア半島側がアルヘシラス、タリファ、ジブラルタル、アフリカ大陸側がモロッコ領タンジェの新港・旧港やセウタを発着する。

また、モロッコの隣接地とはバス自動車で結ばれている。国境検問所は、モロッコ人の通勤のため、朝はモロッコからセウタ方向、夕方はその逆方向が混雑する。

移民の経由地

近隣の飛び地領メリリャと伴に、サブサハラアフリカ諸国出身の移民難民が、ヨーロッパ大陸を目指す際の経由地になっている。2017年1月1日の例では、モロッコ側から800人以上のアフリカ人移民らが押し寄せて、国境のフェンスを乗り越える事件が発生。この際には、多くがスペイン領への侵入を阻止されたが、同年2月17日には再びフェンスを突破する事件が発生し、498人がスペイン側へ侵入を果たしている[9]。2021年と2026年にも移民・難民の大量流入が発生した[10]

経済

セウタ経済は第三次産業に偏っている。第一次産業のうち農業や牧畜業はごく僅かに行われ、重要なのは漁業となっている。起伏の多い地形、水資源、エネルギー、原材料の不足がセウタの発展を妨げている。第二次産業および建設業は、土地が少ないことから限られている。

見所

  • アスンシオン・デ・セウタ聖堂:アラブ時代に建てられたモスクを前身とする。1415年にポルトガルがセウタを征服した後、教会へ変えた。
  • 城壁とサン・フェリペ壕:ポルトガル時代から建設された、海上からの攻撃から都市を守るための防衛設備。
  • アフリカの聖母教会:エンリケ航海王子によって寄進された。
  • 市役所建物:1926年建設
  • グラン・カジノ
  • アラブ浴場:13世紀の遺跡
  • ローマ時代後期の教会:現在は博物館

姉妹都市

脚注

  1. Censo anual de población 2021-2025”. スペイン国立統計局. 2026年9月2日閲覧。
  2. Wells, John C. [英語版] (2008). Longman Pronunciation Dictionary (3rd ed.). Longman. ISBN 978-1-4058-8118-0.
  3. Jones, Daniel (2011), “Cambridge English Pronouncing Dictionary”, Cambridge English Pronouncing Dictionary (Cambridge University Press), ISBN 978-0-521-15255-6
  4. スペイン飛び地へ最大6万の不法入国者、大半は自らモロッコに帰還か朝日新聞デジタル(2026年8月1日)
  5. Ferrer-Gallardo, Xavier (2008). “The Spanish–Moroccan border complex: Processes of geopolitical, functional and symbolic rebordering”. Political Geography 27 (3): 301–321. doi:10.1016/j.polgeo.2007.12.004.
  6. Verónica Rivera (December 2006). “IMPORTANCIA Y VALORACIÓN SOCIOLINGÜÍSTICA DEL DARIJA EN EL CONTEXTO DE LA EDUCACIÓN SECUNDARIA PÚBLICA EN CEUTA” (スペイン語). Revista Electrónica de Estudios Filológicos (12). ISSN 1577-6921.
  7. Fernández García, Alicia (2016). “Nacionalismo y representaciones lingüísticas en Ceuta y en Melilla”. Revista de Filología Románica (Madrid: Universidad Complutense de Madrid) 33 (1): 23–46. doi:10.5209/RFRM.55230. ISSN 0212-999X.
  8. 国末憲人:スペイン・モロッコが「火花」 「飛び地」をカルロス国王訪問、反発『朝日新聞』2007年11月7日付2面(東京本社版)
  9. アフリカ人移民ら500人、スペイン飛び地領へなだれ込む CNN(2017年2月18日)2017年2月25日閲覧
  10. スペイン領セウタに移民 モロッコから6万人殺到 イタリアは国境管理徹底」『日本経済新聞』朝刊2026年8月1日(国際面)

外部リンク


セウタ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/26 15:54 UTC 版)

スペインにおける2019年コロナウイルス感染症の流行状況」の記事における「セウタ」の解説

2020年3月15日、セウタでマドリードからマラガ経由で来た男子学生1人感染確認された。

※この「セウタ」の解説は、「スペインにおける2019年コロナウイルス感染症の流行状況」の解説の一部です。
「セウタ」を含む「スペインにおける2019年コロナウイルス感染症の流行状況」の記事については、「スペインにおける2019年コロナウイルス感染症の流行状況」の概要を参照ください。

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