フェニキアとは? わかりやすく解説

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フェニキア【Phoenicia】

読み方:ふぇにきあ

現在のシリア・レバノン沿岸付近にフェニキア人建てた都市国家群の総称。前8世紀以降ギリシャ台頭によって衰退し、前64年ローマ併合された。


フェニキア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/04 01:46 UTC 版)

フェニキア

フェニキア古代ギリシャ語: ΦοινίκηPhoiníkēポイニーケー: PhoenicesPoeniポエニ: Phoenicia)は、古代地中海東岸に位置した歴史的地域名。シリアの一角であり、北は現シリアタルトゥースのあたりから、南はパレスチナカルメル山に至る海岸沿いの南北に細長い地域であって、およそ現在のレバノンの領域にあたる。

フェニキアの旗

名称

フェニキア人という名称は自称ではなく、ギリシア人による他称である。ギリシア人は、交易などを目的に東から来た人々をこう呼んだ[1]。フェニキア人による自称は資料もなく不明である。

フェニキアという名称は、フェニキア人の居住地がギリシャ語Φοινίκη (Phoiníkē; ポイニケー)と呼ばれたことに由来している。その語源は不明であり、フェニキアがミュレックス(en)と呼ばれる貝から取れる紫色染料貝紫)を特産としていたことから、「紫色」(または「緋色」)という意味のギリシア語を語源とする説も存在する。今日でも南部のサイーダなどの町中でこの貝殻の山を見ることができる[2]。フェニキア人の母体となったとされるカナンという呼称も、アッカド語で染料を意味するキナッフに由来する[1]

歴史

起源

フェニキア人の交易路
黄がフェニキア人の都市、赤がギリシア人の都市、灰はその他。

歴史家ヘロドトスは、その著書『歴史』の序文で「ペルシア側の学者の説では、争いの因をなしたのはフェニキア人であったという。それによれば、フェニキア人は、いわゆる紅海からこちらの海に渡って来て、現在も彼らの住んでいる場所に定住するや、たちまち遠洋航海にのりだして、エジプトやアッシリアの貨物を運んでは各地を回ったがアルゴスにも来たという。」と書いている。

発展

フェニキア人は、エジプトバビロニアなどの古代国家の狭間にあたる地域に居住していたことから、次第にその影響を受けて文明化し、紀元前15世紀頃から都市国家を形成し始めた。紀元前12世紀頃から盛んな海上交易を行って北アフリカからイベリア半島まで進出、地中海全域を舞台に活躍する。また、その交易活動にともなってアルファベットなどの古代オリエントで生まれた優れた文明を地中海世界全域に伝えた。

フェニキア人の建設した主な主要都市には、アラドス(現在のアルワード島)、ティルス(現在のスール)、シドンビュブロス、ベリュトス(現在のベイルート)などがある。後期青銅器時代には、これらの都市が存在していたことがアマルナ文書から確認できる[3]。フェニキア人は海上交易に活躍し、紀元前15世紀頃から紀元前8世紀頃に繁栄を極めた。さらに、カルタゴなどの海外植民市を建設して地中海沿岸の広い地域に広がった。船材にレバノン杉を主に使用した。

消滅

しかし紀元前9世紀から紀元前8世紀に、内陸で勃興してきたアッシリアの攻撃を受けて服属を余儀なくされ、フェニキア地方(現在のレバノン)の諸都市は政治的な独立を失っていった。アッシリアの滅亡後は新バビロニア、次いでアケメネス朝ペルシア帝国)に服属するが、海上交易では繁栄を続けた。しかし、アケメネス朝を滅ぼしたアレクサンドロス大王によってティルスが征服されると、マケドニア系の勢力に取り込まれてヘレニズム世界の一部となった。

カルタゴ

一方、紀元前9世紀に北アフリカに建設された植民都市カルタゴは、フェニキア本土の衰退をよそに繁栄を続けていたが、3度にわたるポエニ戦争の結果、共和政ローマに併合されて滅んだ。

言語

フェニキア人は系統的には様々な民族と混交していたが、アフロ・アジア語族セム語派に属するフェニキア語を話し、現存する言語ではヘブライ語と同じカナン諸語に属する。先祖はセム系のアモリ人の一派が小アジアから北シリアに移住したことに始まるといわれている[4]

彼らがフェニキア語を書き表すために発明したフェニキア文字は、古ヘブライ文字アラム文字ヘブライ文字ギリシャ文字アラビア文字など、ヨーロッパ西アジアの多くの言語で用いられる起源となった。 ギリシア文字がフェニキア文字を元とすることから、フェニキア文字はアルファベットのルーツとされる。

カルタゴの人々(en:Punics)の話していたフェニキア語はポエニ語と呼ばれてローマ時代にも存続したが、やがてベルベル人ベルベル語や、イスラム教とともにやってきたアラビア語に飲み込まれ、消滅していった。

交易

フェニキア人の交易船

フェニキア人は優れた商人であり、その繁栄は海上交易に支えられていた。紀元前8世紀には、ティルスは地中海方面からメソポタミア、アラビア半島に至る交易ネットワークのハブとなっていた。貝紫レバノンスギがフェニキア本土の特産品であり、この地域の都市国家の成立と繁栄を支えた。また、タルテッソス(イベリア半島)の銀をオリエントに持ちこむ航路はフェニキア人が独占していた。紀元前13世紀から紀元前12世紀にかけて海の民によって東地中海が荒廃するが、フェニキアの都市は難民を受け入れつつ拡大し、西方へ進出する[5]

紀元前11世紀にはテュロスはイスラエル王のダビデと友好関係を結び、紀元前10世紀にテュロス王のヒラムはイスラエル王のソロモンと共同で紅海の貿易に進出する[6]紀元前9世紀にはテュロスを中心にフェニキアの貿易網が栄え、その様子は旧約聖書のエゼキエル書に記されている[7]。ギリシア人のホメロスは、叙事詩『イリアス』や『オデュッセイア』でフェニキア人を船を操る商人や職人の集団として表現した[8]

功績

ヘロドトスの『歴史』によれば、紀元前600年ごろ、エジプトのファラオネコ2世の命を受けたフェニキア人は、紅海から出港し、喜望峰を経て、時計回りにアフリカ大陸を一周し、3年目にエジプトに帰ってきたという(フェニキア人のアフリカ大陸周航[9]バルトロメウ・ディアスが喜望峰を「発見」する2000年以上前のことである。フェニキア人は極めて優れた航海術を有していたのである。

主なフェニキア人

神話上の人物(ギリシア神話)、または伝説の人物
実在の人物

カルタゴ人

ハンニバル

出典・脚注

  1. ^ a b 栗田・佐藤 (2016) p.37
  2. ^ 小山 (1977) p.39
  3. ^ 栗田・佐藤 (2016) p.36
  4. ^ 小山 (1977) p.37
  5. ^ 栗田・佐藤 (2016) p.46
  6. ^ 栗田・佐藤 (2016) p.50
  7. ^ 栗田・佐藤 (2016) p.61
  8. ^ 栗田・佐藤 (2016) p.48
  9. ^ ヘロドトス著『歴史』第4巻42節(ヘロドトス著、松平千秋訳『歴史(中)』岩波文庫、1972年、28ページ。)

参考文献

  • 小山茂樹『レバノン』中央公論社〈中公新書474〉、1977年。
  • 栗田伸子・佐藤育子『通商国家カルタゴ』講談社〈講談社学術文庫〉、2016年。

関連項目

外部リンク



フェニキア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 03:20 UTC 版)

貿易史」の記事における「フェニキア」の解説

東地中海前1200年のカタストロフとも呼ばれる大変動によってヒッタイト滅亡しエジプトミケーネ衰退する青銅器時代カナン呼ばれていた地域人々は、この変動影響受けて海岸部集中してむようになるそれまで農耕中心としていたカナン人は、居住地減少のために商工業へと生業変えて紀元前12世紀から紀元前8世紀にかけて西地中海進出した。こうして、カナン鉄器時代にはフェニキアと呼ばれるうになるカナンやフェニキアという名は自称ではなく特産物であるシリアツブリガイから作った貝紫色染料由来とする。 東地中海では金属不足しており、フェニキアは金、銀、、鉛、錫などを求めて西方航海した。フェニキアが各地得た金属西アジア送り海上貿易によってグブラやテュロスシドンといった都市栄える。輸出品としては金属の他に特産である貝紫色染料木材、そして象牙ガラス貴金属などを使った工芸品奴隷があった。テュロス王のヒラムイスラエル王のソロモン協定を結び、テュロス木材職人イスラエル小麦オリーブ贈りエルサレム神殿完成したヒラムソロモン協力した紅海貿易については『旧約聖書』の「列王記」、テュロス貿易による繁栄は「エゼキエル書」に記されている。テュロスからはイベリア半島アフリカへ植民始まりキプロスシチリアマルタサルデーニャ拠点建設したフェニキア人は、紀元前8世紀から9世紀ギリシア紀元前6世紀にはローマ接触して地中海めぐって対立する北アフリカのフェニキア植民都市であるカルタゴは、東地中海のフェニキア都市他国支配下となったのちも繁栄続けた

※この「フェニキア」の解説は、「貿易史」の解説の一部です。
「フェニキア」を含む「貿易史」の記事については、「貿易史」の概要を参照ください。

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