大ハンノとは? わかりやすく解説

大ハンノ

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大ハンノ: Hanno the Great)と呼ばれる人物は、歴史上3人いる。


  1. ^ Justin was a Roman who in the 2nd century/* Hanno I the Great */ AD condensed a work of the Roman historian Pompeius Trogus written in the 1st century BC. Picard, Life and Death of Carthage (1968) at 30-31.
  2. ^ Picard, Life and Death of Carthage (1968) at 131-132.
  3. ^ Serge Lancel, Carthage. A history (1992; Blackwell 1995) at 115.
  4. ^ Picard, Life and Death of Carthage (1968) at 132, 133.
  5. ^ Warmington, Carthage (1964) at 117.
  6. ^ Warmington, Carthage (1964) at 115-116.
  7. ^ Warmington, Carthage (1960, 1964) at 119-120.
  8. ^ Warmington, Carthage (1964) at 120, 123.
  9. ^ Picard, Life and Death of Carthage (1968) at 198.
  10. ^ Cf, Warmington, Carthage (1964) at 119.
  11. ^ Picard, Life and Death of Carthage (1968), at 264, 286.
  12. ^ Cf., Warmington, Carthage (1960, 1964), at 119.


「大ハンノ」の続きの解説一覧

大ハンノ (I)

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「大ハンノ」の記事における「大ハンノ (I)」の解説

紀元前4世紀軍事指揮官で大ハンノと呼ばれる最初の人物である。それまでマゴ家に代わってハンノ家によるカルタゴ支配始めたローマ帝国歴史家ユニアヌス・ユスティヌスによると、ハンノ肩書きは「カルタゴプリンケプス」(princeps Cathaginiensium)としている。貴族王族としての呼称ではなく、「平等な市民の中の第一のもの」との意味思われる紀元前368年彼の政敵であるスニアトゥスは「最も権力があるカルタゴ人」(potentissimus Poenorum)と呼ばれていた(当時カルタゴでは疫病広がりリビュア人の反乱もあり、国力低下しマゴ家の力が落ちていた)。数年後にスニアトゥスは反逆罪告訴されおそらくは処刑された。 紀元前367年ハンノ200隻の艦隊率いて、リルバイオン(現在のマルサーラ)を封鎖していたシュラクサイ艦隊奇襲してこれに勝利しシュラクサイ僭主ディオニュシオス1世撤退させた(リルバイオン包囲戦)。その後20年間、ハンノカルタゴ指導者であり、また最も裕福な人物であった紀元前343年シュラクサイ内紛介入してカルタゴハンノ率い大軍シケリア派遣するが、途中で司令官マゴ3世交代している。マゴコリントスから派遣されティモレオン敗北しカルタゴ戻って自決したシュラクサイ包囲戦)。 その後ハンノカルタゴでのより強力な権力狙った民衆食料配布し、またリビュア奴隷首長利用して自身権力見せ付けたカルタゴ対す軍事的威嚇ではなかったが、ハンノ逮捕され反逆者として処刑された。息子であるギスコ除き家族多く処刑された。 しかしほどなくギスコ許され70隻の艦隊ギリシア人傭兵乗せてリルバイオンに向かい、ティモレンと講和した。この後ハンノ家はカルタゴ政治大きな影響与えることとなる。 大ハンノ (I)はおそらく大ハンノ (II)の祖先である。

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大ハンノ (II)

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「大ハンノ」の記事における「大ハンノ (II)」の解説

二人目の大ハンノはカルタゴ貴族紀元前3世紀ポエニ戦争活躍したカルタゴの反バルカ家勢力として知られるハンノ生家裕福な貴族階級で、一族北アフリカイベリア半島土地所有していた。第一次ポエニ戦争では、ハンノは自らの支持層率いてローマとの戦を継続する事をやめようとする。また海戦で自らの財を失う事を好まず、むしろ北アフリカ所有する土地の事に腐心したと言われている。このような経緯から、カルタゴ将軍ハミルカル・バルカとは対立関係にあった。またハンノ紀元前244年カルタゴ海軍解体ローマに自らの海軍再建させる隙を与え、それが紀元前241年カルタゴローマ敗北する結果となった第一次ポエニ戦争終結後ハンノ政敵ハミルカル約束したカルタゴ軍参加した傭兵たちに払うべきである報酬の支払い拒否、これが傭兵たち反乱を招く事になる。そして自ら軍を率いて鎮圧に当たるが失敗、軍の統制は再びハミルカルのもとへ返し紀元前238年敵対するハミルカル協同して反乱鎮圧した彼の前に「大」と前置きされるのは、北アフリカカルタゴの敵を制圧した功績のためである。また彼は、対ローマ戦争反対続けた。この戦争海軍衝突につながるものであったからである。第2次ポエニ戦争ではカルタゴ反戦勢力率いてカンナエの戦い勝利をおさめたハンニバルハミルカル息子)への支援の妨害をした。ザマの戦いハンニバル敗れると、ハンノローマとの交渉する外交役を務めた

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大ハンノ (III)

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「大ハンノ」の記事における「大ハンノ (III)」の解説

三人目の大ハンノは、紀元前2世紀カルタゴの超保守派政治家である。

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