フェニキアからローマの時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 08:26 UTC 版)
「タルトゥース」の記事における「フェニキアからローマの時代」の解説
タルトゥースの歴史は、沖合いのアルワード島にフェニキア人の植民都市アラドゥス(Aradus)が建設された紀元前2千年紀に遡る。陸地の側にはアンタラドゥス(ラテン語の Anti-Aradus、「アラドゥスの向かい側」)と呼ばれた町が建設された。フェニキア時代のアンタラドゥスは、より重要で大きな都市であるアラドゥスとつながる本土側の小さな町に過ぎず、遺跡は多くは残っていない。 タルトゥース近郊にはアムル人が建てた古代都市アムリト(Amrit)の遺跡があり、アレクサンドロス大王の時代以降はギリシャ語でマラトゥス(Marathus)と呼ばれておりアラドゥスの管轄下で経済的に重要な役割を果たした。 ローマ帝国の後期、皇帝コンスタンティヌス1世は、聖母マリアへの崇敬の盛んなアンタラドゥスの街を援助した。聖母マリアのための最初の礼拝堂は、ここアンタラドゥスに3世紀ごろ建てられたとされる。
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