紀元前8世紀とは? わかりやすく解説

紀元前8世紀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/31 23:24 UTC 版)

千年紀: 紀元前1千年紀
世紀: 前9世紀 - 紀元前8世紀 - 前7世紀
カピトリヌスの雌狼英語版カピトリーノ美術館蔵)」。画像は牝狼の乳を飲むロームルスレムスの銅像。ロームルスは都市国家ローマを紀元前753年に建国したと伝えられる初代王。
ディピュロンのアンフォラ英語版」。ギリシア陶器の幾何学様式後期を代表する名品で現在はアテネ国立考古学博物館が所蔵している。
ホメロス。『イリアス』『オデュッセイア』をまとめたとされる盲目の吟遊詩人。画像はウィリアム・ブーグローによる歴史画「ホメロスと案内人」(ミルウォーキー美術館英語版蔵)。
聖地オリンピア。もともとゼウス神が祀られていた神域で、紀元前8世紀からこの神に捧げられるオリンピアの競技が行われることになった。画像は紀元前740年頃に作製され競技に際し奉献されたラコニア様式の青銅製の馬の像(ルーヴル美術館蔵)。
ウラルトゥ王国の繁栄と凋落。ウラルトゥの王サルドゥリ2世の時に勢力が最大となったが、隣国アッシリアに攻め込まれて衰退した。画像はウラルトゥの主神ハルディの像(アルメニアエレバンエレブニ要塞博物館蔵)。
ドゥル・シャルキン。アッシリア王サルゴン2世の時代に造営された都で10年余ほど用いられた後、ニネヴェに改めて遷都され放棄された。保存状態は悪くなく多くの浮彫で飾られた宮殿の城壁が発掘されている。画像はサルゴン2世と家臣の浮彫(ルーヴル美術館蔵)。
アッシリア支配下のフェニキア人。海上交易を保護されたフェニキア人はこの時代にも大きな足跡を残した。画像はドゥル・シャルキンにかつてあった浮き彫りで、船舶を用いて木材運搬に従事するフェニキア人たちが刻まれている(ルーヴル美術館蔵)。
西周の滅亡。西周の幽王は極めて愚かで美女褒姒に溺れて戯れに烽火を焚いて危急に駆け付けた諸侯を慰み者にしたと伝わる。この伝説的な話はともあれ、申侯の手引きにより遊牧民族犬戎が侵入し、都の鎬京が陥落したあげく幽王が殺害され、西周が滅亡したことは事実であろう。画像は『帝鑑圖說中国語版』幽王本紀の「戲舉烽火」の場面。

(きげんぜんはちせいき、きげんぜんはっせいき)は、西暦による紀元前800年から紀元前701年までの100年間を指す世紀。

出来事

紀元前800年代

  • 紀元前800年頃
  • 紀元前800-500年頃 - 古散文ウパニシャッド文献が成立する。
    • 最古層の『ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド』『チャーンドーギヤ・ウパニシャッド』が代表とされる。

紀元前780年代

  • 紀元前789年 - 周の宣王が千畝の役中国語版姜戎と戦うが敗退する。
  • 紀元前786年 - ウラルトゥアルギシュティ1世が即位し、ウラルトゥの領土拡大が始まる。
  • 紀元前780年 - 周で涇水・渭水・洛水の三川の水が涸れて岐山が崩れる大地震が発生(三川岐山地震)。

紀元前770年代

  • 紀元前776年7月1日
  • 紀元前776年9月6日
    • 幽王六年十月朔日辛卯のこの年に日食が起こる(『詩経』「小雅・十月之交」)。
  • 紀元前771年 - 申侯の乱で、鎬京犬戎に攻められ西周幽王が殺される。
    • 翌年(紀元前770年)、幽王の子平王は鎬京を離れ洛邑遷都東周が成立(周の東遷)。
    • これより春秋時代が始まる。平王を擁立した秦の襄公が諸侯に列する。

紀元前760年代

紀元前750年代

  • 紀元前756年 - 洛邑の平王が鎬京の携王を倒し、周の王統は統一される。
  • 紀元前753年 - カロプス(アルコン)ドイツ語版がアテナイのアルコンに就任し、これ以後アルコンの任期は10年となる。
  • 紀元前753年4月21日
  • 紀元前753年頃
  • 紀元前8世紀半ば
    • ホメロスの『イリアス』『オデュッセイア』が成立。
    • ギリシア陶器が幾何学様式後期になり人物表現が復活する。
      • 逸名絵付師「ディピュロン・マスター英語版」の「ディピュロンのアンフォラ」(アテネ国立考古学博物館蔵)が有名。
    • クレタ島ドレロススペイン語版のアポロン神殿から出土したアポロン・アルテミス・レトの青銅製三神像(Apollonian Triad AMH)が作成される(イラクリオン考古学博物館蔵)。
    • トルコ南部(キリキア)アダナ県で出土したルウィ語フェニキア語の二言語併記のチネキョイ碑文英語版が作られる。

紀元前740年代

紀元前730年代

紀元前720年代

紀元前710年代

  • 紀元前719年 - の公子州吁が兄の桓公を殺害し君主となる。
  • 紀元前717年
  • 紀元前716年頃
  • 紀元前716年 - 初代ローマ王ロームルスが死去。
  • 紀元前715年 - サビニ人ヌマ・ポンピリウスが第2代ローマ王に選出される。
  • 紀元前714年 -
    • アッシリア王サルゴン2世によりウラルトゥ王ルサ1世が大敗し、ムサシル英語版が陥落、領土を奪われる。
    • 秦の寧公(憲公)が平陽に都を遷す。
  • 紀元前713年 - アッシリア王サルゴン2世が新ヒッタイト系のタバル王国を制圧する。
  • 紀元前712年頃 - ギリシア系メガラ人の植民市としてニコメディアアスタコス英語版)が建設される。
  • 紀元前710年頃 - レラントス戦争によりハルキスエレトリアがエウボイアの覇権をめぐり激突( - 紀元前650年頃)

紀元前700年代

  • 紀元前709年
    • アッシリア王サルゴン2世がバビロンを陥落させ「バビロニア王」を名乗る。
    • フリギアミダス(ムシュキ王ミタ)がアッシリア王サルゴン2世に和平を申し入れる。
    • 陘廷の戦いで、晋の分家である曲沃の姫称(後の晋の武公)が宗家の哀侯と小子侯を滅ぼす。
  • 紀元前707年 - 東周の桓王が蔡・衛・陳と連合して鄭を攻撃したが撃退される(繻葛の戦い中国語版)。
    • 鄭の荘公はこの戦いで威信を高め「春秋の小覇」と呼ばれた。対して周王室の力の衰えが明らかになった。
  • 紀元前706年 - スパルタのパルテニアイらによるタラス(イタリア半島南端の現タレントゥム)植民市の建設。
  • 紀元前705年 - アッシリア王サルゴン2世がアナトリアの小国タバル英語版との戦争中に戦死。
  • 紀元前704年 - 楚の熊徹が沈鹿の会盟を行い、王号を名乗る(楚の文王)。
  • 紀元前703年 - アッシリア王センナケリブがバビロニア王メロダク・バルアダン2世を倒し、傀儡政権を擁立するがバビロニアの政情は不安定。
  • 紀元前700年以前 - フリギア王国の「ミダス王の記念碑英語版トルコエスキシェヒル県のヤズルカヤ英語版遺跡)」が建てられる。
  • 紀元前700年頃 - ヘシオドスの『神統記』『仕事と日』が成立。

人物

中国

王政ローマ

ギリシア

オリエント

南アジア

日本の社会

関連項目


紀元前8世紀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/21 19:47 UTC 版)

新アッシリア帝国の軍事史」の記事における「紀元前8世紀」の解説

紀元前780756年 ウラルトゥアルギシュティ1世アッシリア支配ウルミエ湖オルーミーイェ湖)をウラルトゥ奪われる 紀元前745年 ティグラト・ピレセル3世権力を握る。アッシリア軍の改革が行われる 紀元前744年 ティグラト・ピレセル3世により、大量イラン人国外追放される 時期不詳 ティグラト・ピレセル3世バビロンを破る 紀元前743年 ティグラト・ピレセル3世ウラルトゥ決定的に破りアルパド包囲する 紀元前741年 アルパド陥落する 紀元前734~732年 シリア・エフライム戦争シリアパレスティナ反乱鎮圧される 紀元前732年ダマスカス陥落する 紀元前732年 バビロン王位カルデア人簒奪された後、アッシリアによりバビロン征服されるバビロン周辺の土地が、3年間に及ぶ戦争により荒廃した 紀元前724~722年 シャルマネセル5世サマリア包囲した後、占領する 紀元前721年 サルゴン2世王位簒奪サマリア反乱誘発させたが、すぐに鎮圧される 紀元前721年 サルゴン2世バビロニア反乱を破る 紀元前717716年 サルゴン2世カルケミシュ支配下に置き、北方における通商路を確保する 紀元前714年 サルゴン2世ウラルトゥに対して壊滅的な打撃与えウラルトゥ戦闘能力永久に奪う 紀元前713年アッシリア同盟の噂を受け、サルゴン2世小アジアタバル占領 紀元前710707年 バビロニア新たな反乱が、サルゴン2世により鎮圧される 紀元前709年 サルゴン2世送り込んだアッシリア遠征軍が、フリギュアのミダース王に対し講和条約を強いる 紀元前703年 センナケリブ即位のわずか1年後に、カルデア支援受けたバビロン反乱し鎮圧される 紀元前701年 センナケリブが、シリアイスラエル征服するために地中海沿岸南下するエジプト援軍撃退される一方で激戦の末にラキシュ占領されるエルサレム包囲戦には失敗する

※この「紀元前8世紀」の解説は、「新アッシリア帝国の軍事史」の解説の一部です。
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