エルサレム包囲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 06:05 UTC 版)
詳細は「エルサレム攻囲戦 (1099年)」および「アスカロンの戦い」を参照 中近東地域に入った十字軍はエルサレムを目指して南下した。トゥールーズ伯率いる主力部隊はオロンテス川沿いにシリア内陸を進み、エルサレム行きを渋るボエモン軍が出立するのをアルカで待ち、そこから山を越え地中海沿岸に出てレバノン海岸を進んだ。ゴドフロワ、ウスタシュ、ボードゥアンらはトゥールーズ伯に従うのを好まず、アルカからさらに内陸をヨルダン川渓谷へと進み、エルサレムで合流する。途中で組織的な抵抗はほとんどなかった。というのも、それまでに十字軍が通過した町や村で行った略奪や虐殺の凄まじさを聞き、セルジュークやアラビアの有力者たちは、抵抗するよりも十字軍に宝物・食料・馬など物資や道案内を供出して、徹底的な破壊を避けることを選んだからであった。東地中海有数の富裕な港、トリポリはその富のため略奪の標的となったが、トリポリ領の都市アルカの攻略に向かった十字軍は住民の必死の抵抗で手間取り攻略を諦めたため、トリポリは多数の貢物を奪われる程度で十字軍の蹂躙に遭わずに済んだ。 エジプトのファーティマ朝はアンティオキア攻略中の十字軍に宰相アル・アフダルは使者を送り、シリアの南北分割統治を提案したものの、十字軍はあくまでエルサレムの占領に拘り、同盟も不可侵条約も成り立たなかった。その後の交渉も十字軍側はすべて拒絶、エルサレムの占領を目指して、ファーティマ朝の国境を越えた。ファーティマ朝領内の港湾都市、サイダ(シドン)は抵抗して近郊の農地を略奪されたが、ベイルートやティール、アッカなどは十字軍の脅迫に屈して案内人を送り、途中の農村の住民は十字軍を避けて逃亡し敢えて抵抗はしなかった。ファーティマ朝は、つい1年前にアンティオキア陥落後のセルジュークの弱体化に乗じてエルサレムを奪ったことを後悔し始めた。こうして1099年6月7日、十字軍はエルサレム郊外に布陣した。 十字軍はエルサレムの包囲を行い、攻城櫓を建設し城壁を乗り越えようとした。しかしファーティマ朝の司令官イフティハール・アル・ダウラ(Iftikhar ad-Daula)は石油や硫黄を使った攻撃で、兵を満載した攻城櫓に火を放って城を守り、一方の十字軍側は満足な食料の補給もなかったため、死者の数は増える一方となった。しかも本国から宰相アル・アフダルらのファーティマ軍が迫っており、不十分な軍勢でエルサレム攻略は不可能かと思われた。その時、従軍していたペトルス・デジデリウスという司祭が、断食した上に裸足で9日間エルサレムの周りを回ればエルサレムの城壁は崩壊するという幻を見た、と主張し始めた。それは旧約聖書のエリコの陥落の故事を踏まえた発言であった。1099年7月8日、デジデリウスの後に従い、将兵たちはエルサレムの周りを回り始めた。7日目の7月15日、一同は城壁の弱点を発見してそこを打ち壊し、城内に入ることに成功した。城内での殺戮のさなか、イフティハールは砦の上で抗戦していたが、レーモン・ド・サン・ジルの勧告を受け入れて降伏した。 一方、城内に入った軍勢はエルサレム市民の虐殺を行い、イスラム教徒、ユダヤ教徒のみならず東方正教会や東方諸教会のキリスト教徒まで殺害した。ユダヤ教徒はシナゴーグに集まったが、十字軍は入り口を塞ぎ火を放って焼き殺した。多くのイスラム教徒はソロモン王の神殿跡(現在のアル=アクサー・モスク)に逃れたが、十字軍の軍勢は執拗に虐殺を行いそのほとんどを殺害している。著者不明の十字軍の従軍記「ゲスタ・フランコルム」によると虐殺の結果、「血がひざの高さに達するほどになった」と書いている。 十字軍による市民の虐殺が一段落すると、軍勢の指導者となっていたゴドフロワ・ド・ブイヨンは「エルサレム公」または「アドヴォカトゥス・サンクティ・セプルクリ」(聖墳墓の守護者)と名乗った。これはゴドフロワが、王であるキリストが命を落とした場所の王になることを恐れ多いと拒んだからとも、他の諸侯の反感を恐れたからとも言われている。正教会(ギリシャ正教)、非カルケドン派(アルメニア使徒教会、コプト正教会など)各教派のエルサレム総主教たちは追放され、カトリックの総大司教が立てられた。キリストが架けられた「聖十字架」など聖遺物も、司祭達を拷問して手に入れた。 ゴドフロワはその後、エルサレム手前でとどまっていた宰相アル・アフダルらのファーティマ朝の軍勢をアスカロンの戦いで急襲し破った。以後エルサレムを拠点にパレスチナやシリア各地を襲ったが、1100年にエルサレムでこの世を去った。弟のエデッサ伯ボードゥアン(ボードゥアン1世)が後を継いで「エルサレム王」を名乗り、十字軍国家「エルサレム王国」が誕生した。
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