エルサレム奪回とハヌカー制定
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「ユダ・マカバイ」の記事における「エルサレム奪回とハヌカー制定」の解説
ユダ・マカバイは父が死ぬ(紀元前166年)と、反乱軍のリーダーとなって弟ヨナタンやシモンと共にシリア軍と戦い、ゲリラ戦で天才的な指導力を発揮した。まず、サマリア・ユダヤの司令官アポロニオス、セロンを討ち取った。アポロニオスから奪った剣を生涯、戦場に携えた。アンティオコス4世エピファネスがリュシアスにユダヤ制圧を命じると、ドルメネスの子プトレマイオス、ニカノル、ゴルギアス率いる4万7千人のシリア軍が侵攻してきた。ユダはミツパで神に祈りを捧げ、エマオでシリアの大軍と激突した。ユダは出エジプトの時の紅海の奇跡を引き合いに出して兵士を鼓舞し、シリア軍を撃破して戦利品を獲得した。 リュシアスは自ら6万5千人の兵を率いて出撃したが、ベテズルで大敗を喫し、ユダと一時的に休戦した。シリア側は宗教的な自由の回復を認めた。ユダはついにエルサレムを奪還し、異邦人に汚されたエルサレム神殿の聖所を清め、再びヤハウェに献納して中断していた神殿でのユダヤ教の礼拝を復活させた。ハヌカーはこれを記念するために制定された(紀元前165年キスレーウ25日)。またヘンデルのオラトリオ『マカベウスのユダ』はこの故事に取材したものである。 宗教的な自由を回復したことで戦争は終結に向かうかと思われたが、ユダは政治的独立を勝ち取ることを目指したため、ハシディームなど宗教指導者の一部はユダから離れることになった。
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