ユダ・マカバイとは? わかりやすく解説

ユダ・マカバイ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/08 16:48 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
プロンプトゥアリ・イコヌム・インシギオルム英語版』に描かれたユダ

ユダ・マカバイヘブライ語: יהודה המכביYehudah ha-Makabi, ? - 紀元前160年)は、旧約聖書続編の『マカバイ記』に登場する紀元前2世紀ユダヤの民族的英雄。シリアの支配下にあったユダヤの独立を達成することになるマカバイ戦争を指導し、ハスモン朝が開かれる基礎を築いた。ギリシア語名でユーダス・マッカバイオスἸούδας Μακκαβαῖος)、ラテン語名でユダス・マカベウス(Judas Maccabaeus)と呼ばれる。

名前

ユダ(イェフーダー)はヘブライ語で「ヤハウェに感謝する」という意味。

名前の由来には諸説あり、以下にいくつかの由来を示す。

マカバイという名は、戦いの勇猛さ、使用武器に由来してアラム語で「鉄槌」を意味する maqqaba から来ている説。士気を上げるウォークライで、出エジプト記の一節15:11「主よ、神々のうち、だれがあなたに比べられようか( Mi kamokha ba'elim Adonai )」の頭文字に由来する説。また、ユダヤ教のラビ Moshe Schreiber は、彼の父「Mattityahu Kohen Ben Yochanan」の略語だと記述している。何人かの研究者からは、「ヤハウェに選ばれたもの」を意味するヘブライ語 maqqab-ya ¯hû を短縮したものだという説もある[1]

マカバイ戦争の開始

ユダ・マカバイの勝利、ギュスターブ・ドレ
マカバイ統治下のユダヤ

ディアドコイの一人セレウコス1世の建てたセレウコス朝の王アンティオコス4世エピファネスエルサレムを占領するとエルサレム神殿を略奪し、ユダヤ教を迫害して、偶像崇拝を強要した。このため、モデインという町に住んでいた祭司マタティアと五人の息子たちが蜂起した(紀元前167年)。その息子の一人がマカバイと呼ばれたユダであった。これ以降の独立闘争をマカバイ戦争(マカバイの反乱)と呼ぶ。

エルサレム奪回とハヌカー制定

ユダ・マカバイは父が死ぬ(紀元前166年)と、反乱軍のリーダーとなって弟ヨナタンシモンと共にシリア軍と戦い、ゲリラ戦で天才的な指導力を発揮した。まず、サマリア・ユダヤの司令官アポロニオス、セロンを討ち取った。アポロニオスから奪った剣を生涯、戦場に携えた。アンティオコス4世エピファネスがリュシアスにユダヤ制圧を命じると、ドルメネスの子プトレマイオス、ニカノル、ゴルギアス率いる4万7千人のシリア軍が侵攻してきた。ユダはミツパで神に祈りを捧げ、エマオでシリアの大軍と激突した。ユダは出エジプトの時の紅海の奇跡を引き合いに出して兵士を鼓舞し、シリア軍を撃破して戦利品を獲得した。

リュシアスは自ら6万5千人の兵を率いて出撃したが、ベテズルで大敗を喫し、ユダと一時的に休戦した。シリア側は宗教的な自由の回復を認めた。ユダはついにエルサレムを奪還し、異邦人に汚されたエルサレム神殿の聖所を清め、再びヤハウェに献納して中断していた神殿でのユダヤ教の礼拝を復活させた。ハヌカーはこれを記念するために制定された(紀元前165年キスレーウ25日)。またヘンデルのオラトリオ『マカベウスのユダ』はこの故事に取材したものである。

宗教的な自由を回復したことで戦争は終結に向かうかと思われたが、ユダは政治的独立を勝ち取ることを目指したため、ハシディームなど宗教指導者の一部はユダから離れることになった。

遠征とシリアとの再戦

その後もユダ・マカバイはシリア軍や周辺民族との戦いにあけくれる。イドマヤ人、次いでアンモンのティモテオス(Timotheus)らと交戦した後、ガリラヤギレアデのユダヤ人が孤立して救援を求めてくると、ユダとヨナタンはギレアデ、シモンはガリラヤへ向かった。ユダはボソラ、カスフォ、マケド、ボソルなどを攻略し、ティモテオスも撃破して味方を救出し、意気揚々と帰還した。この時、エルサレムに残っていたザカリアの子ヨセフ、アザリアは自分たちも戦功を立てようと相談し、ヤムニアへ出撃したがゴルギアスに大敗した。ユダはヘブロンアシュドドも攻略して焼き払った。

紀元前164年、エピファネスがイラン遠征中に失意のうちに病死すると、リュシアスは王の子アンティオコス5世エウパトルを擁立した。翌年、リュシアスは大祭司メネラオスの要請に応えて再度ユダヤに侵入し、部隊を主力として対戦した(ベト・ザカリアの戦い英語版)。ユダの兄弟エレアザル・アウアラン英語版は王の鎧で武装していた巨大な象を見つけると、王が乗っていると思い込み、象を殺したものの、下敷きとなって死亡した。エウパトルは乗っていなかったため、エレアザルの犠牲は無駄となってしまった。ユダは敗北して撤退を余儀なくされた。エルサレムは包囲されるが、シリア側で将軍フィリッポスによるクーデターが起こったためにリュシアスはユダと和平を結び、撤退した。

紀元前161年、シリア王にデメトリオス1世ソテルが即位すると、大祭司職を狙うアルキモス(Alcimus)はデメトリオスに援助を求めた。デメトリオスはバッキデス(Bacchides)を派遣し、アルキモスを大祭司に任命した。続いてニカノルが派遣されるが、ユダはカファルサラマ、続いてアダサでニカノルを撃破し、討ち取った。

ローマとの同盟と戦死

ユダは使者にハッコズの子ヨハネの子エウポレモス、エレアザルの子ヤソンを選び、セレウコス朝シリアと敵対関係にあったローマと同盟関係を結んだ。シリアに対抗すべく、外交にも目を向けたのである。

紀元前160年1月、シリアはバッキデス、アルキモスを派遣して2万2千人の軍でエルサレムを目指した。ユダの軍は脱走兵が続出し、残ったのはわずか800人に過ぎなかった。戦闘を避けるよう懇願されたユダは、敵前逃亡を拒否し、兄弟たちのために男らしく死のうではないか言った。ユダはシリア軍との戦闘中に戦死した(エラサの戦い英語版)。兄弟ヨナタンシモンはユダの遺体を引き取り、モディン英語版に葬った。ヨナタンが彼の後をついでユダヤ軍を指導した。

芸術

しばしば芸術、音楽で取り上げられており、ヘンデルのオラトリオユダス・マカベウス』(『マカベウスのユダ』)が有名である。このオラトリオの第58曲「見よ勇者は帰る」(See the conquering hero comes)は競技会などの得賞曲として親しまれ、また讃美歌にも採用され、『よろこべやたたえよや』として歌われている。

出典

出典
  1. ^ NEW CATHOLIC ENCYCLOPEDIA, second edition, vol. 9, p. 9
参考図書
先代:
マタティア
ハスモン朝の指導者
紀元前166年 - 160年
次代:
ヨナタン

「ユダ・マカバイ」の例文・使い方・用例・文例

Weblio日本語例文用例辞書はプログラムで機械的に例文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。



固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ユダ・マカバイ」の関連用語

ユダ・マカバイのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ユダ・マカバイのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのユダ・マカバイ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
Tanaka Corpusのコンテンツは、特に明示されている場合を除いて、次のライセンスに従います:
 Creative Commons Attribution (CC-BY) 2.0 France.
この対訳データはCreative Commons Attribution 3.0 Unportedでライセンスされています。
浜島書店 Catch a Wave
Copyright © 1995-2025 Hamajima Shoten, Publishers. All rights reserved.
株式会社ベネッセコーポレーション株式会社ベネッセコーポレーション
Copyright © Benesse Holdings, Inc. All rights reserved.
研究社研究社
Copyright (c) 1995-2025 Kenkyusha Co., Ltd. All rights reserved.
日本語WordNet日本語WordNet
日本語ワードネット1.1版 (C) 情報通信研究機構, 2009-2010 License All rights reserved.
WordNet 3.0 Copyright 2006 by Princeton University. All rights reserved. License
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
「斎藤和英大辞典」斎藤秀三郎著、日外アソシエーツ辞書編集部編
EDRDGEDRDG
This page uses the JMdict dictionary files. These files are the property of the Electronic Dictionary Research and Development Group, and are used in conformance with the Group's licence.

©2025 GRAS Group, Inc.RSS