ローマとの同盟と戦死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/08 16:48 UTC 版)
「ユダ・マカバイ」の記事における「ローマとの同盟と戦死」の解説
ユダは使者にハッコズの子ヨハネの子エウポレモス、エレアザルの子ヤソンを選び、セレウコス朝シリアと敵対関係にあったローマと同盟関係を結んだ。シリアに対抗すべく、外交にも目を向けたのである。 紀元前160年1月、シリアはバッキデス、アルキモスを派遣して2万2千人の軍でエルサレムを目指した。ユダの軍は脱走兵が続出し、残ったのはわずか800人に過ぎなかった。戦闘を避けるよう懇願されたユダは、敵前逃亡を拒否し、兄弟たちのために男らしく死のうではないか言った。ユダはシリア軍との戦闘中に戦死した(エラサの戦い(英語版))。兄弟ヨナタンとシモンはユダの遺体を引き取り、モディン(英語版)に葬った。ヨナタンが彼の後をついでユダヤ軍を指導した。
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