ローマでの会期と公会議の最後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/29 02:55 UTC 版)
「フィレンツェ公会議」の記事における「ローマでの会期と公会議の最後」の解説
1443年、公会議はローマへ移転。そこではシリア正教会やマロン派とローマ・カトリック教会との合同が模索された。一方、バーゼルに残留した急進的公会議主義者たちはその過激さのために信用を失墜させていたが、1443年に財政難のためにフェリクス5世の地元ローザンヌに移動した。このころになると、かつて公会議主義者たちを支持した諸侯も見切りをつけて、教皇側を支持するようになり、分裂公会議の参加者も解散に追い込まれた。 最終的に公会議は1449年に教皇ニコラウス5世によって閉会が宣言され、ほとんどの支持者を失ったフェリクス5世も1449年4月7日に退位した。
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