ローマでの業績とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > ローマでの業績の意味・解説 

ローマでの業績

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/23 11:35 UTC 版)

アントニオ・カノーヴァ」の記事における「ローマでの業績」の解説

ローマ出発する前にカノーヴァが生活に困らず勉強できるよう、友人たちヴェネツィア議会奨学金申請してくれた。この申請認められカノーヴァ3年期限で、300ダカット(金貨)の奨学金を得ることができた。また、ヴェネツィア大使で、芸術詳しく寛大な保護者であったジローラモ・ツリアンへの紹介状も貰うという、これ以上はない手厚い扱い受けたカノーヴァローマ到着した1780年12月28日は、カノーヴァ新時代始まりの日であったカノーヴァにとって、ローマは、古代ローマ遺跡勉強をすることで自分自身完成に向かわせ、また、そこに住む美の巨匠たちと競争することで自分才能を試すことができる、願ってもない都市だった。カノーヴァにとっても友人たちにとってもその結果を出すことが最高の希望だった。そのローマカノーヴァの名を知らしめた最初作品は、現在ロンドンヴィクトリア&アルバート美術館にある『テセウスミノタウロス』(1781年 - 1783年)だった。等身大よりやや大きめ作品で、ミノタウロス死骸の上に、勝利したテセウス腰掛けている姿が描写されていた。テセウス全身隅々までありありと見え疲労困憊ぶりは、恐るべき死闘激しさ見事に物語っていた。その簡潔さ自然主義的な表現は、カノーヴァスタイル特徴づけていて、勇壮さと自然の高尚な概念がこの時結合されたのであったテセウス像は熱烈な賞賛浴びたカノーヴァ次の作品は、ローマ教皇クレメンス14世記念碑だった。その仕事取りかかる前にカノーヴァヴェネツィア議会許可を得なければいけないと考えた奨学金貰っている限り、彼は教皇ではなくヴェネツィア議会仕えていたからだ。カノーヴァヴェネツィア戻り直接議会嘆願し、無事それは許可された。カノーヴァすぐさまローマに引き返すと、バブイーノ通り近く工房開いた最初2年ひたすらデザイン整理モデル構図費やし、さらに2年をかけて、1787年、ようやく教皇記念碑完成した熱狂的なディレッタント」(英,伊:dilettante好事家学者専門家よりも気楽に素人として興味を持つ者)の意見では、この記念碑カノーヴァ現代最初芸術家である刻印だとされている。 5年休みなく働いた後、カノーヴァはさらにローマ教皇クレメンス13世のための慰霊碑完成させ(1787年 - 1792年)、それはカノーヴァ名声をさらに高めることになったカノーヴァノミから立て続け作品作られた。そうした中に代表作アムールプシュケエロス接吻目覚めるプシュケ)』(1787年 - 1793年)も含まれるカノーヴァ名声はさらに高まりロシア宮廷から嬉し依頼舞い込んだサンクトペテルブルク来て欲しいというものだった。しかしカノーヴァはこれを辞退したそのことについて、カノーヴァ友人の手紙にこう書いている。 「 イタリアは私の母国芸術の国、土壌。私は離れられません。ここで育ったのですから。もし私の乏し才能他国役に立つというのなら、他国イタリアにとって何か役に立つものであって然るべき。他のどんな国より好まれてると、わざわざイタリア主張する必要もないですよね? 」 とはいうもののカノーヴァ多く傑作が現在サンクトペテルブルクエルミタージュ博物館にある。 1795年から1797年にかけて、多く作品制作された。その中には以前作品複製いくつかあった。『ヴィーナスとアドニス』(1795年)もその1つで、この作品ナポリ送られた。ところで、フランス革命衝撃イタリアにも波紋起こしていた。1798年カノーヴァは、ひっそり静かに暮らしたいと、生まれ故郷ポッサーニョ戻り、約1年間隠棲した。そこでカノーヴァもっぱら絵を描いたいくらかは絵の知識があったのだ。政変一時的に落ち着くと、カノーヴァローマ戻った。しかし、生活の変化のせいだろうか、健康を害し友人のレッツォニコ上院議員Prince Rezzonico)と一緒に静養のためドイツ旅行することにした。おかげで健康は回復し、旅から戻ると、カノーヴァは再び精力的に作品制作はじめた

※この「ローマでの業績」の解説は、「アントニオ・カノーヴァ」の解説の一部です。
「ローマでの業績」を含む「アントニオ・カノーヴァ」の記事については、「アントニオ・カノーヴァ」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「ローマでの業績」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ローマでの業績」の関連用語

ローマでの業績のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ローマでの業績のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのアントニオ・カノーヴァ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS