ローマとアルメニアの文献
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/23 01:09 UTC 版)
「パーパク」の記事における「ローマとアルメニアの文献」の解説
ローマとアルメニアの情報源では異なる説明が見られる。ローマの歴史家アガティアスとゲオルギオス・シンケロス(英語版)によれば、サーサーンはアルダシールの実の父親であり、パーパクは継父であった。アルメニアの著述家モブセス・ホレナツィ(英語版)とアガサンゲロス(英語版)も同様にサーサーンをアルダシールの父と呼んでいる。但し、パーパクについては何も言及していない。アガサンゲロスの作品のギリシア語版では、アルダシールは「ササヌスの息子であり、ササヌスは彼の子孫であるペルシアの王たちの王朝であるサーサーン朝の名の由来である」と記されている。
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