ローマとビザンツによる統治
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 07:59 UTC 版)
「イオニア諸島」の記事における「ローマとビザンツによる統治」の解説
紀元前4世紀までには、ギリシャ本土と同様にイオニア諸島もマケドニア王国の支配下に入った。マケドニアによる支配は、紀元前146年にギリシャがローマ帝国により占領されるまで続いた。ローマ帝国による支配は400年におよび、東ローマ帝国領として受け継がれた。 8世紀半ば、イオニア諸島は東ローマ帝国の下でケファレニア軍管区(テマ) (Cephallenia (theme)) として編成された。イオニア諸島はしばしばイスラム帝国の攻撃対象となり、11世紀末からはノルマン人やイタリア人もイオニア諸島を狙うようになった。 1185年にはシチリア王国のグリエルモ2世がイオニア諸島の大半を占領し、東ローマ帝国のもとに残るのはケルキラ島とレフカダ島などのみとなった。シチリア王国領となった地域にはケファロニア・ザキントス宮中伯領 (County palatine of Cephalonia and Zakynthos) が設定された。1357年、ケファロニア・ザキントス宮中伯領はレフカダ島・イタキ島とあわされてレウカディア公国(Duchy of Leucadia)となり、フランス人やイタリア人が公爵となった。 1204年、第四回十字軍によりコンスタンティノープルが陥落し、東ローマ帝国がいったん滅亡した。ケルキラ島・パクシ島とキティラ島はヴェネツィア共和国が取得し、レヴァントとの間の海上交易の中継基地として利用された。
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