エルサレムの陥落とは? わかりやすく解説

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エルサレムの陥落

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/21 15:51 UTC 版)

エルサレム王国」の記事における「エルサレムの陥落」の解説

1174年ヌールッディーンとアモーリーが没した。ヌールッデーンの死去により、サラーフッディーン勢力シリアにも及び、中東ムスリム勢力はほぼ統一されることになり、キリスト教勢力への攻勢強まった一方、アモーリーの死によってエルサレム王国混乱の時代入っていった。跡を継いだボードゥアン4世らい病進んでおり、身動きが不自由で余命短く子供望めなかった。アモーリーには他に息子はおらず王位継承権を持つ者としてシビーユイザベル2人の娘の他、血縁男子としてトリポリ伯レーモン3世がいた。 従来から王国には、新来十字軍中心とする宮廷派と現地諸侯中心とする貴族派勢力争いがあったが、これに後継争い加わり抗争はいっそう激化していった。 宮廷派の中心王母アニェスであり、後継候補として実子シビーユ立て、これに新来十字軍士のエメリーギー・ド・リュジニャンリュジニャン兄弟トランスヨルダン領主ルノー・ド・シャティヨン、旧エデッサジョスラン3世アニェスの弟)が加わっている。一方貴族派トリポリ伯レーモン中心として、後継候補としてイザベル立て、これに前王マリア・コムネナイザベル実母)、ボードゥアンバリアンのイブラン一族加わっていた。 1176年からボードゥアン4世親政始めジョスラン3世トリポリ伯レーモンバランス取りながら国政運営しシビーユモンフェラート侯ギヨーム結婚させ後継者としたが、間もなくギヨーム妊娠したシビーユ残して没し生まれた子供が後のボードゥアン5世)、後継争いは再び混沌としてきた。 1177年のモントジザールの戦いでサラーフッディーン破り、しばらく平穏が続くが、派閥争いは一層激しくなった。貴族派は、シビーユとボードゥアン・ディブランの結婚狙ったが、アニェス宮廷派はシビーユギー・ド・リュジニャン結婚させてギー摂政任命し、さらにイザベルルノー・ド・シャティヨン継子であるトロン領主オンフロワ4世結婚させて、貴族派からの切り離し狙ったギヨーム・ド・ティール年代記ではアニェス影響力よるものとしているが、現在の研究では王位継承権を持つレーモン勢力拡大を狙うイブラン一族警戒したボードゥアン4世意向であると考えられている。 1183年ルノー・ド・シャティヨン挑発怒ったサラーフッディーンが、ルノー・ド・シャティヨン居城ケラク城で行われていたイザベル結婚式を襲うと、ボードゥアン4世病床にも拘わらず輿に乗って出陣したが、この時ギー能力に不満を持ちシビーユ夫妻継承奪って5歳ボードゥアン5世共同王にするとともにギー摂政から解任し、代わりにレーモン摂政とした。 1185年ボードゥアン4世没するボードゥアン5世が跡を継いだが、病弱のため即位1年早世し、再び後継争い再燃した貴族派中心に諸侯は、シビーユ即位条件としてギーとの離婚要求するが、シビーユはいったんこれに同意するものの、即位する同時にギー国王戴冠した。これに対しトリポリ伯レーモン、ボードゥアン・ディブランなどの貴族派イザベル擁立してクーデター企てたが、イザベルの夫オンフロワが寝返って失敗終わった反対派排除して権力握ったギーは、対イスラム強硬派ルノー・ド・シャティヨン組みサラーフッディーンとの対決姿勢強めた1186年休戦条約犯してルノーメッカへの巡礼者キャラバン虐殺し残り捕虜取ったサラーフッディーン捕虜解放交渉ギールノー無視され、ここに休戦破れたトリポリ伯レーモンサラーフッディーン圧力もありイスラム勢力との融和計っていたが、ギーたちはレーモンに対してサラーフッディーンとの同盟結んだことを責め大司教による破門ちらつかせたレーモン屈してギー妥協し1187年7月4日ヒッティーンの戦いサラーフッディーン激突したが、十字軍大敗しギールノーテンプル騎士団総長多く捕虜となったサラーフッディーンモンフェラート侯コンラードが守るティールを除くアッコン、ナビュラス、ヤッファトロンシドンベイルートアスカロン等を次々と落しエルサレム迫ったエルサレムにはバリアン・ディブラン(英語版フランス語版)の他、わずかな騎士かいなかったが、「聖地異教徒に渡すより全滅した方がましだ」「必ず、神の助けがある」といった強硬論主流占めサラーフッディーン降伏勧告従わず住民武装させ抵抗行った英語版)。しかし衆寡敵せず間もなく降伏1187年10月2日開城したが、サラーフッディーン寛大な条件示し身代金を払うことで市民退去許し払え奴隷になった者も多く買い戻して解放した

※この「エルサレムの陥落」の解説は、「エルサレム王国」の解説の一部です。
「エルサレムの陥落」を含む「エルサレム王国」の記事については、「エルサレム王国」の概要を参照ください。

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