4人目の皇帝・ウェスパシアヌスとは? わかりやすく解説

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4人目の皇帝・ウェスパシアヌス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/19 00:21 UTC 版)

ローマ内戦 (68年-70年)」の記事における「4人目の皇帝・ウェスパシアヌス」の解説

ウェスパシアヌスは元々ユダヤ戦争鎮圧するために派遣され軍司令官であったが、シリア総督名声のあったムキアヌス支持取り付けることができた。ウェスパシアヌスユダヤ地方鎮めることで皇帝求められる軍事能力示し帝国食料生産半分を担うとまで言われエジプト支配することでローマ全体の食を押さえたのであるオリエント一帯安定させたウェスパシアヌスは、ムキアヌス一軍預けてバルカン半島北上させ、ウィテッリウスのいるローマ攻略目指した。しかしムキアヌスダキアにて異民族の侵入対処するため一時進軍止めその間ウィテッリウスに対して恨みをもつマルクス・アントニウス・プリムス軍団兵が再びクレモナウィテッリウスの軍を撃破第2次ベドリアクムの戦い)、雪辱を果たす。勢い乗ったアントニウス・プリムスの軍団ローマ占拠ウィテッリウス殺害した。そして数カ月後、異民族の侵入退けたムキアヌスローマ無血入城果たし混乱に際して炎上したユピテル神殿(なおこれに巻き込まれウェスパシアヌスの兄サビヌス死去していた)を再建して平和の復活宣言最後にウェスパシアヌス皇帝としてローマ入った紀元後70年ウェスパシアヌス長男であるティトゥス指揮するローマ軍エルサレム陥落させた。ユダヤ軍の残党マサダ逃れたものの少数であり、エルサレムの陥落により、ローマ揺るがしたユダヤ戦争事実上終結したまた、ゲルマニア勃発した反乱についてもクィントゥス・ペティリウス・ケリアリス指揮を取るローマ軍反乱軍各地撃破し、キウィリスは降伏。これにより内戦は一応の終結をみた。

※この「4人目の皇帝・ウェスパシアヌス」の解説は、「ローマ内戦 (68年-70年)」の解説の一部です。
「4人目の皇帝・ウェスパシアヌス」を含む「ローマ内戦 (68年-70年)」の記事については、「ローマ内戦 (68年-70年)」の概要を参照ください。

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