ひと‐いくさ【一戦/一▽軍】
いち‐ぐん【一軍】
一軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/04 08:37 UTC 版)
一軍(いちぐん)とはプロ野球などのスポーツについて使われる言葉であり、チーム内で各ポジションの最も有力な選手によって組み合わされた組織。トップチーム(英: Top Team)とも呼ばれる。
注釈
- ^ 2016年(平成28年)4月13日、東北楽天ゴールデンイーグルスのオコエ瑠偉は、日中にイースタン・リーグ(二軍)の東京ヤクルトスワローズ戦に出場し、夜に公式戦の千葉ロッテマリーンズ戦に出場した。
出典
- ^ 阪神タイガースの例。“一軍登録選手”. 阪神タイガース. 2020年10月4日閲覧。このサイトでは「一軍登録」と呼ばれているが、出場選手登録と同じものである。
- ^ “楽天・オコエが1、2軍掛け持ちで出場「いい経験をさせていただいた」”. sanspo.com (2016年4月13日). 2020年10月4日閲覧。
- ^ この前後のオコエの出場選手登録状況 “2016年4月公示 出場選手登録・抹消”. 東北楽天ゴールデンイーグルス. 2020年10月4日閲覧。
- 1 一軍とは
- 2 一軍の概要
一軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 07:23 UTC 版)
公式戦は全試合18時からのナイターで日程が組まれている。 日時ホームビジター結果観衆備考2002年4月16日(火) 中日 阪神 7-3 16,000人 2003年3月10日(月) 西武 雨天中止 オープン戦。13時試合開始予定。 2004年5月13日(木) ヤクルト 雨天中止 2005年4月13日(水) 広島 7-8 11,500人 延長10回。 2006年8月9日(水) 広島 8-6 11,935人 24分間の試合中断があった。 2007年5月31日(木) 東北楽天 10-2 12,135人 同球場初のセ・パ交流戦となった。 2008年7月29日(火) 横浜 5-4 12,218人 2009年4月28日(火) 東京ヤクルト 2-4 12,115人 2010年6月23日(水) 横浜 4-2 12,072人 2011年4月27日(水) 横浜 1-0 10,179人 2012年5月8日(火) 東京ヤクルト 1-0 10,154人 2013年7月2日(火) 広島 5-8 10,086人 延長12回。 2014年8月5日(火) 広島 3-2 11,055人 延長11回。豊橋出身・藤井淳志サヨナラ本塁打。 2015年5月20日(水) 広島 11-6 10,756人 2016年5月25日(水) 横浜DeNA 1-4 10,267人 2017年4月25日(火) 東京ヤクルト 4-2 10,029人 中日が同球場公式戦通算10勝目を記録。 2018年4月17日(火) 阪神 雨天中止 2019年7月17日(水) 阪神 6-4 12,168人 2020年4月21日(火) ヤクルト 中止 新型コロナウイルスの影響で公式戦の開幕が6月19日まで延期された。 観衆は2004年以前の試合は、主催者側の判断による概数。2005年以降はチケットの発券枚数による実数。
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一軍
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高橋絵里子(たかはし えりこ) 声 - 生天目仁美 誕生日:1990年9月20日、血液型:A型、身長:160センチメートル、体重:52キログラム、スリーサイズ:B87/W60/H89 この作品の主人公。外部生(高校から入学した生徒のこと)。由真達からは「絵里子」、綾乃からは「絵里ちゃん」、小川からは「絵里子ちゃん」と呼ばれている。 胸は大きいが、本人はそれを良く思っておらず、中学生時代は、胸の小さな由真をうらやましく思っていた。 小学校時代に『上北小の核弾頭』の異名を名乗り、市立上石神第二中学校から咲女に入学。 勉強はものすごくでき、咲女の入学試験は首席で合格し、学力試験では常に学年トップクラスの成績である。しかし、運動能力と美術センスはかなり悪く、特に運動能力はゼロに等しい。また、勉強はできるが、聡明と言うわけではなく、日常生活では愚行が多い。 綾乃と由真の仲を裂こうとした桃香の嘘を極めて論理的に看破したりと、シリアスな場面では洞察力の高さが窮地を救うこともある。 入学当初は外部生ということもあり、女子校に全く馴染めなかったが、次第にクラスの中でも人気者になる。 自らの提案で女を磨くための「セレ部」を発足し、その部長に就任することに(小田桐に顧問就任を断られたこともあり、この部は学校非公認。また、部長とはいえ、その美意識は桃香には遠く及ばない)。 修学旅行では香田、宝塚組らと同じ班。あまり話さなかった宝塚組と仲良くなろうとするなど、リーダーシップを存分に発揮した。 鈴木由真(すずき ゆま) 声 - 浅野真澄 誕生日:1990年5月5日、血液型:O型、身長:165センチメートル、体重:47キログラム、スリーサイズ:B80/W56/H84 外部生。絵里子達からは「由真」、綾乃と小川からは「由真ちゃん」と呼ばれている。 一人称は「由真」だが、妹の桃香の前では「私」に変わることもある。 運動神経が良く(100メートル走のタイムは12秒5)、部活推進週間になると各運動部から引っ張りだこ状態になる。 第二次性徴が遅く、中学生時代から胸が小さいのをコンプレックスに思っていた。また、胃下垂なので食べても太らず、体毛もあまり生えない体質のため、絵里子や香田からはうらやましがられている。生理痛が酷い体質。 公立高校への入学を志望していたが、受験に失敗したため咲女へ入学した。 綾乃とは小学校から、絵里子とは中学校からの友人。綾乃とは、学校で2人きりで陰毛の処理を手伝ったり、修学旅行先でタンポンを入れてあげたりと尋常ならざる関係。綾乃が由真に甘えているようである。中学時代、絵里子とは当初犬猿の仲だった(「何となく気に入らない」という一方的な理由で、由真の方から因縁をつけたのだが)が、次第に打ち解けて仲良くなった(原作では「何となく」の一言だけだが、アニメ版では第8話前半でその切っ掛けが描かれている)。 音楽と体育以外は「1」と「2」ばかりであるなど成績は悪いが本人はその状況を楽しんでいる節すらある。 妹の桃香とは仲が悪いように見えるが、彼女がピンチな時はいつでも身を挺して助けに行く良き姉。 絵里子達に対して日頃何かと気を使ったりと、正義感が強く姉御肌なところもある。また、身体検査の際に最短ルートを考え出す、プールで小田桐と松尾にナンパされたこと(※小田桐と松尾は由真とは気づかずにナンパしていた)を幾度となく引き合いに出して脅す、といった悪知恵が働く部分もある。 好物は桃香が作るアボカドサラダ、クリームチーズ冷奴。 「セレ部」での役職は副部長。 修学旅行では部活青春グループ班にいた。マッチョ松尾らに遠泳に付き合わされるなど、散々な目に遭った。 佐藤綾乃(さとう あやの) 声 - 能登麻美子(ドラマCDでは川澄綾子) 誕生日:1991年1月20日、血液型:B型、身長:158センチメートル、体重:49キログラム、スリーサイズ:B80/W60/H83 外部生。絵里子達からは「綾乃」、小川からは「綾乃ちゃん」と呼ばれている。 模範的平凡バカ。眼鏡、三つ編み、成績は中の中(ただしテストの点数は悪い)と目立った特長が無いのが特徴、だったのだが2巻以降からは乙女思考全開の「ブリバカ」キャラが徐々に定着していった。最初から乙女思考だった訳ではなく、中学時代にとったある行動が人格形成に大きく影響している。また、耳年増でオヤジ語にやたらと詳しかったりする。 由真とは小学校から、絵里子とは中学校からの友人。由真の項で書いたように由真とは仲の良さ以上の恋愛感情にも似ている甘えたような信頼関係にあり、綾乃の本命が由真なのではないかと絵里子に思われたこともあった。文化祭で下高谷という彼氏ができてからは彼氏のことにばかり構うようになり、付き合いが悪くなったため、嫉妬した絵里子や由真には裏切り者扱いされ、しょっちゅうデートの邪魔をされている。下高谷とは、互いが内緒で出席した合コンで対面した時にも2人きりの世界を作ってしまう等、周囲も突っ込む気力を失くすほどのバカップルぶりを披露している。 「セレ部」での役職は書記。 修学旅行ではオタクグループに入ることに。ただし、入った当初は他メンバーの言う「王子様」の正体に気付けなかった。 アニメ版でも完全にいじられ役。彼氏と2人きりの世界を作っている所をよく絵里子や由真に突っ込まれている。 香田あかり(こうだ あかり) 声 - 雪野五月(現・ゆきのさつき) 誕生日:1990年11月17日、血液型:AB型、身長:161センチメートル、体重:50キログラム、スリーサイズ:B81/W59/H85 内部生(中学から入学している生徒のこと)。絵里子達からは「香田」、綾乃からは「香田さん」、小川からは「香田っち」と呼ばれている。 最初は絵里子達と衝突していたが、打ち解けてからは大の仲良しに。 自信家で目立ちたがりで仕切り屋。また実家がお金持ちのため、エステやブランド物にもよく手を出して大量の出費をしている(ローンの残りが多い)。 乗り物には弱く、すぐ酔う上に症状も激しい。 中等部時代は、クラスで孤立しがちだった奈緒を周囲に溶け込めるように便宜を図るなど、行動的な一面もある。 女優を目指しており、よく奇抜な衣装で登場するが、所属している演劇部では無機物や馬の足などの役しか与えられていない。 なぜか後輩の女の子からはモテており、バレンタインデーには後輩女子からチョコレートを送られることもあった。ちなみに歌はあまり上手くない。 目が悪く普段はコンタクトを使用しているが、ごく稀に眼鏡を掛ける時もある。その際にヘアバンドを取って髪を下ろすと別人のような顔になる(本人も一発芸にしている程)。 「セレ部」での役職は会計。クラスでは絵里子と共に、自治委員や旅行委員を務めた。 修学旅行では絵里子、及び宝塚組と同じ班。絵里子と協力して宝塚組に接近を試みるも、基本的に逆効果。 アニメ版では奇抜なコスプレなど、彼女の言動の空回りぶりがいかんなく発揮されていた。しかし、第9話では彼女の演劇に取り組む姿勢が真剣であることが強調されており、単なるお調子者でないことが示唆されている。
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一軍
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「福岡ソフトバンクホークス主催試合の地方球場一覧」の記事における「一軍」の解説
阪神甲子園球場(1948年 - 1949年)※1953年の日本シリーズ第6戦(10月15日)でも使用。 大阪球場(1950年 - 1988年)※1957年までと1989年 - 1990年は近鉄主催でも使用。 平和台野球場(1989年 - 1992年)※移転前の1979年 - 1988年も地方開催として使用。 福岡ドーム(福岡 PayPayドーム)(1993年 - 現在)
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一軍
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「オリックス・バファローズ」の記事における「一軍」の解説
1936年…現在のホーム用にあたる白地に飾り文字、ビジター用にあたるユニフォームは紺が使われていた。 1937年 - 1940年…チームカラーがオレンジに変更される。また紺地に白のペンシルストライプが登場。 1940年 - 1944年…戦況の悪化により「H」マークを廃止。また、左袖には阪急の社章が入る。 1945年 - 1949年…「H」マークが復活。ビジター用に当たるグレーは「HANKYU」のロゴ。当時はペンキで描いていた。 1947年 - 1952年…ロゴの「H」マークが丸くなり、ホーム用に阪急独特のナール型(丸文字)背番号が登場。ビジター用は同じ書体で丸味のない角型。茶の「Braves」は1950年まで使用。 1951年 - 1954年…ペンシルストライプを復活。また、ロゴが赤茶に変更される。 1955年 - 1959年…ミルウォーキー・ブレーブスを意識したホーム用ユニフォームが登場。同時にチームカラーが紺と海老茶に変更される。1957年から帽子のマークを変更。 1960年 - 1961年…「Braves」の書体が変更され1980年代初頭まで使われる。前立てラインが登場。また帽子のツバを赤に変更。 1962年 - 1971年…縦縞が初登場。この時代はマイナーチェンジが繰り返される。1964年より…胸に番号が入る。 1969年より…ビジター用の「HANKYU」のロゴが太くなって、ホーム用の左袖に「HANKYU」の文字が追加される。 1970年より - 袖に両サイドを黒で挟んだオレンジラインが入り、胸ロゴ、背番号、胸番号にオレンジの縁取りが入り、帽子の「H」マークがオレンジになる。ちなみに縦縞は、当時の戸倉勝城監督と西本幸雄コーチがかつて所属していた毎日オリオンズにあやかって導入された。この時にオールドファンからの抵抗も予想されたため、1962年にペンシルストライプのビジターユニフォームが3度目の登場を果たしたが、成績不振によりわずか1年で廃止された。 1972年 - 1983年…衣類の技術的進化によりカラフルな色が出せるようになり、丸首ニット製ベルトレスユニフォームを採用。プルオーバーとなる。ロゴ、胸文字、背番号が赤(縁取り:黒)、アンダーシャツ、ストッキング、が黒、首、袖が赤、黒、白のライン、帽子は黒地にHマーク、ツバが赤。マイナーチェンジを重ねつつ、1983年まで基本スタイルが踏襲され、黒、赤、白=常勝阪急のイメージが定着する。1975年 - 1979年…袖とパンツのラインが太くなり、首部分に伸縮ゴムが入る。1975年 - 1977年の3年連続日本一(1975年 - 1978年は4年連続リーグ優勝)になったゲンのいいユニフォーム。ビジター用はグレーからスカイブルー、スパイクが黒から赤地に白ライン(美津濃製の「M」ライン)となる。 1977年より…背番号の上に選手のネームが入る。12球団で唯一訓令式ローマ字を採用、長音母音にマクロン(長音記号)がついていた。例えば加藤英司の場合、現在では「H.KATOH」(ヘボン式ローマ字表記)と表記するのが一般的だが、阪急では「H.KATŌ(Oの上にマクロン)」と表記。これはオリックス・ブレーブス時代の1990年まで続いた。しかし福本豊の場合は当時「HUKUMOTO」(訓令式ローマ字表記)ではなく「FUKUMOTO」と表記され、ヘボン式ローマ字も一部混在した。 1980年 - 1983年…アンダーシャツ・ストッキングを赤に変更。同時に、ベルト式(オーバーカバータイプ)になり、ボタン型となる(但し、第3ボタンまでがボタン式であとは飾りボタンのプルオーバー型)。スパイクが白地に赤ラインになる。 1981年 - …袖のラインを「黒・白・赤」から「赤・白・黒」に変更(パンツのラインは変更なし)。下述する1984年以降のユニホームにも引き続き採用した。 1984年 - 1988年…帽子のマークが「H」から西洋の騎士が身につける「プレートアーマー」のマスクをイメージした「B」に変わり、前面が白になる。同時にホーム用がモデルチェンジ。ボタン無しのVネックプルオーバータイプとなり、「Braves」のロゴが筆記体から変わる。また、1947年以来続いていたナール(丸文字)型の背番号の書体が変更となり、角文字になり、胸番号がゴシック体になる。1985年 - 1988年…ビジター用もモデルチェンジする。デザイン書体などはホーム用同様で、胸ロゴが「HANKYU」から「Hankyu」へと小文字のゴシック体にかわる。左袖にはブレービーのワッペン(三角形)がつく。 1989年 - 1990年…球団がオリックスに譲渡され、球団名がオリックス・ブレーブスに変更される。チームカラーをオリックス・ブルー(藍色)とブレーブス・ゴールデン・イエロー(黄色)に変更。阪急時代のプルオーバーのVネックが継続され、ラインは藍・黄・藍に変更。ビジター用は上下スカイブルー地から、上着が藍色(ラインの色も反転し黄・藍・黄)で下がホーム用と同じ白のスタイルになる。背番号、胸番号の書体が高校野球型の書体となる(この番号の書体はブルーウェーブになってからも使用され、2000年まで使用された。ただし「8」のみ、同じ書体を使用していた広島や中日のものと異なり、中央の交差部分がX型ではなく横棒になっていた)。袖のワッペンは、右のみ。ホーム用はオリックスの社章、ビジター用はブレービーのワッペン(三角形)。ビジター用のワッペンは1989年夏から変更(デザインは同じで、枠のみ逆三角形で黄色地に藍色の縁取りに変更)。帽子マークはチームロゴと同じ「Braves」(黄色)。またヘルメットの前面左から庇にかけて「赤の3本ライン」が入り(阪急で使われたものを継続し、親会社の新しいロゴにも取り入れられることになった)、球団名が「ブルーウェーブ」「バファローズ」となってからも2010年まで使用された(ビジター用は2009年に廃止)。 1991年 - 2000年…本拠地の神戸移転と球団名変更を機に胸のロゴが「BlueWave」に、帽子マークが「BW」に変更される。基本デザインは従来どおりの藍色と黄色(チーム名が変更されたため、この黄色の呼称も「ブルーウェーブ・ゴールデン・イエロー」に変更された)のユニフォーム。左袖はホーム用はオリックスの社章、ビジター用は「BlueWave」。この間、右袖のワッペンだけマイナーチェンジが繰り返される。右袖は1994年まで「KOBE」、1995年から1998年まで阪神・淡路大震災からの復興を願い2段組みで「がんばろうKOBE」とし、1999年以降は「KOBE」の上に選手の特徴を表したネッピーのイラストとした(近鉄との吸収合併をする2004年まで)。 ネッピーのデザインは監督・コーチ・投手・捕手・外国人・スライディング・キャッチング・ランニング・左打者の9種類。基本的にホーム・ビジターともに同じイラストだが、イチローと田口壮には異なるイラストがついていた。また投手転向前の萩原淳のユニフォームにはアメリカ人バージョンのネッピーがついていた(萩原は日本人)。 2001年 - 2004年…プルオーバーを廃止しボタン式に変更。オリックスブルーがより濃い紺色になり、従来のラインを廃止し紺色のラケットライン(ビジター用は地色と同色)が入り、選手名、背番号書体が斜体のかかったものに変更される。ヘルメットの「BW」ロゴがワッペンに変更。 2005年 - 2010年…近鉄との吸収合併により球団名がオリックス・バファローズに変更される。ユニフォームは胸のロゴを「BlueWave」から「Buffaloes」に変更し左袖に近鉄の文字を追加、帽子は「BW」を「Bs」に変更(胸・帽子ともにブルーウェーブ時代と同じ書体)しただけでそれ以外は従来どおり。新しいユニフォームを見た旧近鉄選手やファンなどからの批判もあり、急遽大阪ドーム用のユニフォームを作成することになった。大阪ドーム用ユニフォームは帽子と胸の左側部分に、従来とは異なるデザインの紺に黄色の縁取りがある「Bs」マークを使用。ロゴは水牛の角をモチーフにデザイン。前立てにはブルーウェーブ時代のユニフォームと同様に紺のラインが入っている。また、紺のラグランスリーブと帽子の赤いライン(パイピング部・天頂部から鍔の付け根、フロント部に縦に点線状に2本)、袖口の赤いラインに近鉄のイメージが残るように配慮されている(赤は近鉄のメインカラーであり、ラグランスリーブも色は異なるが1974年から1996年までの近鉄のユニフォームに使用されていた)。 2005年は阪神・淡路大震災から10年目の年で、神戸用ホームの左胸には「がんばろうKOBE 10th」のワッペンがつく。 2006年 - 2008年…神戸用ホームユニフォームの帽子・胸ロゴも大阪用と同じ書体のロゴに変更(ビジター用の帽子ロゴも合わせて変更)。2005年以後の神戸を除く地方遠征(公式戦では東京ドーム)は神戸仕様を使っていたが、2008年の東京シリーズは大阪仕様のものを着ていた。 2009年 - 2010年…ビジター用のユニフォームのデザインが変更。「ORIX」の文字や背番号などが白い文字になった。パンツのラインが赤色に変更。また、キャップはホーム用も含め大阪用に統一された(神戸用ユニフォームは廃止)。 2010年…ビジター用のキャップ及びヘルメットのデザインが変更。「Bs」の文字が白一色になり、オリックスのCIである斜め線が廃止された。庇の部分が赤色になった(ホーム用は変更なし)。また、デザイン変更に伴い、ニューエラ製のキャップからミズノ製へと変更。 2011年 - …帽子ロゴなどを除いて大幅にリニューアル。それまで使用されてきたオリックス・ブルー、ゴールデン・イエロー、赤に代わり、ウォーター・ネイビー(従来より深い濃紺)、エキサイティング・ゴールド(金色)、クール・ホワイト(白)がメインカラーとなる。帽子はネイビー地でロゴがゴールド一色。ホーム用はラケットラインにゴールドを配色し、胸に「Buffaloes」ロゴが6年ぶりに復活。ロゴ自体も以前のブルーウェーブ型の書体から「Bs」マークに合わせた書体に変更。左側の「f」をひっくり返すことで「牛の角」をイメージし、配色は地色がネイビーで縁取りがゴールド。ビジター用は上下グレー地となり、「ORIX」のロゴもチームロゴと同じ字体に変更(オリックス球団初のロゴ変更)、ラケットラインはネイビー。ヘルメットはつや消し塗装を採用し、デザインは前述の帽子と同じものでホーム・ビジターとも統一され、赤の3本ラインが完全に廃止。日曜日のホームゲームで着用するサードユニフォームも採用。デザインは上が濃紺、「Buffaloes」のロゴ・胸番号・背番号・背ネームがゴールドで下が白のユニホームとなる。3種とも、右袖に新ロゴマークを挿入。ユニフォームのデザイナーは池越顕尋、生地はミズノ社製でWBC日本代表のユニフォームと同じ素材を使用し、従来のものよりも約35グラムも軽く、また速乾性にも優れている。2012年…キャプテン・後藤光尊の左胸にキャプテンマーク(金縁に紺色) 2014年…サードユニフォームが変更。デザインは上が濃紺でゴールドのラケットライン、「Buffaloes」のロゴ・背番号・背ネームが濃紺地にゴールドで縁取り、胸番号がゴールド。両袖にゴールドのライン。右袖に「Bs spirits」のロゴマーク。下が白。帽子はつばがゴールド。ホームゲームの他、ビジターゲーム(2014年6月17日の対巨人戦など)で着用することもある。 2015年…キャップの庇をゴールドに統一(ヘルメットを除く)。ビジター用も含め、パイピング部がゴールドの単色となる。胸ロゴや背番号、背ネームがゴールドと白の2重縁取りに変更。また「第2のサードユニフォーム」としてゴールドを地色としたものが登場。 2016年…ビジター用をグレー地から、2015年シーズンに着用したサードユニフォームを踏襲した上着のみ紺色に変更(このスタイルのビジター用は2010年以来となる)。サード用は紺地に「ファイティングレッド」と称した赤色と白のパイピングを施し、帽子ロゴや胸番号などは赤に変更される。 2017年…サプライヤーがデサントに変更されたのに伴い、マイナーチェンジ。帽子が2014年以前のデザインに戻り、ネイビーの色合いが僅かに明るくなる。ラケットラインを廃止し、袖口と首回りのみのシンプルなライン(ゴールド)に変更。ホーム用はより純度の高い白「スーパーホワイト」を地色に採用。サード用は2016年度のビジター用を踏襲、新たにゴールド一色の「OB」マークを設定し、帽子や左胸にこのマークを入れ、胸番号が右胸側に移動。ヘルメットも今回初めてロゴの色以外の帽子のデザインが反映され、庇がゴールドになる。 2018年…サードユニフォームが変更(基本的な意匠やロゴは2017年度に準ずる)。上着の地色がホーム用と同じスーパーホワイトとなり、OBロゴ・背番号・背ネームの配色が赤地に紺と白の二重縁取り、胸番号が赤地に紺縁取り、ラインが赤と紺の二重ラインとなる。帽子は庇含めネイビー地に赤いパイピングで、OBロゴが赤地に白縁取り。右袖の「Bs spirits」エンブレムは、同様のカラーコンセプトであった2016年度と同じものが使用される。 2019年…帽子のロゴマークが「B」単体に変更(書体・カラーリングは変更なし)。上着は飾りボタン付きのプルオーバー式となり、背番号・胸番号の書体がワシントン・ナショナルズに似たもの(但し「1」「4」「5」は異なる)に変更され、胸番号は胸ロゴや背番号と同じ配色となる。袖口・襟首・ズボンのラインが1989年 - 2000年のブレーブス・ブルーウェーブ時代に酷似した紺・金・紺のラインとなる(当時とは違い、ビジター用でもラインの色は反転しない)。サードユニフォームはホーム用のゴールドの部分を「ブレイブ・レッド」と称する赤に差し替えたデザイン。 2020年 - 2021年…サードユニフォームが変更。1937年 - 1944年の阪急のビジターユニフォームを模した上下紺地に白のストライプとなり、帽子と左胸に前年度の夏の陣ユニフォームで使用された猛牛マークが入る。胸番号・背番号・背ネームは紺地に白縁取り。また、ホーム・ビジター用とともにストッキングにBマークと2本のラインが入る(ホーム・ビジター用はゴールド、サード用は白)。 2022年~…サードユニフォームが変更。前年度と同じストライプが採用され、白を主体としたカラーリングとなることでシンプルなデザインとなる。帽子とストッキングには新たなOBイニシャルマークが採用され、胸ロゴはアーチ状の"BUFFALOES"となる。 ホームユニフォーム(2017年) ビジターユニフォーム(2018年) 大阪ドーム用ユニフォーム(2005~2010年) 2009年のビジターユニフォーム
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一軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 04:25 UTC 版)
「オリックス・バファローズ」の記事における「一軍」の解説
1936年 - 1947年…藍色地に野球のグローブとボールを模したマーク。グローブの上の部分に「OSAKA」、下の部分に「NIPPON」、ボールの部分に「HANKYU」。敵性語排除のため、阪急に対しても連盟より球団旗のデザイン変更命令が出されたが、阪急側は「『OSAKA』『NIPPON』『HANKYU』は日本語のローマ字表記であって、英語ではない」と拒絶した。この球団旗は愛称が「ブレーブス」になるまで使用された。 1947年 - 1988年…球団ニックネームを「ブレーブス」に。藍色地に黄色で勇者のマーク。その下に赤いリボン、それに白地で「HANKYU」。後に、勇者マークのデザインをシンプルにしたものにリニューアル。 1989年 - 1990年…オリックスに球団が譲渡され、球団名が「オリックス・ブレーブス」に。左右セパレート型で、左は白地にオリックスの社章、右は藍色地に「Braves」。 1991年 - 2005年…球団名が「オリックス・ブルーウェーブ」に。上下セパレート型に変更。上が白地にオリックスの社章、下が藍色地に「BlueWave」。 2005年 - 2008年…大阪近鉄バファローズを吸収合併し、球団名が「オリックス・バファローズ」に。デザインはブルーウェーブ時代の「BlueWave」を「Buffaloes」に変更しただけ。 2009年 - 2010年…球団旗からオリックスの社章が消える。白地に大きく「Bs」。その下に細い赤色のライン、小さく「ORIX Buffaloes」。 2011年 - …白地に上部に小さく「ORIX BUFFALOES」。その下には、この年より導入された「Buffaloes」のロゴ(「Buffaloes」のfの文字が続くところで左右反転し牛の角を表現)が大きく入る。
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「一軍」の例文・使い方・用例・文例
- 一軍
- 一軍の戦闘実力.
- 一軍[二軍].
- 一万の歩兵と五千の騎兵よりなる一軍
- 一軍の鋭
- 彼は第一軍を引率して敵に向かった
- 彼は一軍の将たり
- 第一軍は重い損害を蒙った
- 彼は第一軍付きの通訳官として従軍した
- 一軍全滅
- 例えば、一軍に到達する
- 彼は,選手たちを先入観なしで扱い,自分で彼らを判断する機会があるまで,キャンプでは,一軍,二軍に分けないつもりだ。
- しかし,6月末までに70人の支配下選手名簿の中に枠を勝ち取れば,一軍の試合に出場する機会を得る。
- 彼は「少し緊張したけれど,早く一軍でプレーできるようにがんばりたい。」と語った。
一軍と同じ種類の言葉
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