衆寡敵せず
出典:『Wiktionary』 (2021/08/14 10:45 UTC 版)
成句
- 多数に対して少数では勝ち目がない[1]。「衆」は「多数」、「寡」は「少数」の意。
- 摂津源氏有行綱者焉、与其謀。已而度衆寡不敵、自告清盛。(頼山陽『日本外史』巻2・源氏正記 源氏上)〔1827年〕
- 日本軍は壁に拠って突喊して来る明軍に鳥銃をあびせる。明軍死する者多いが、さすがに屈せず屍を踏んで城壁を攀じる。日本軍刀槍を揮って防戦に努めるけれども、衆寡敵せず内城に退いた。(菊池寛『碧蹄館の戦』)
- 剣豪将軍として名高かった将軍足利義輝が松永久秀の軍勢に襲撃された際に、自らの周囲にあまたの名刀を突き立て、刀を取り替えつつ奮戦したが、衆寡敵せず、殺害されたという故事があり、多くの時代小説等において取り上げられていることが認められる。(東京地方裁判所 裁判長裁判官 三村量一ほか [1]リンク先22ページ 2004年12月24日判決)
発音(?)
しゅ↘ーか て↗きせ↘ず[1]
関連語
類義語
出典
- 【白文】
- 董卓作亂、承欲合徒眾與天下共誅卓。承弟昭時爲議郎。適從長安來、謂承曰、「今欲誅卓、眾寡不敵。且起一朝之謀、戰阡陌之民。士不素撫、兵不練習。難以成功。卓阻兵而無義、固不能久。不若擇所歸附、待時而動。然後可以如志」。承然之。乃解印綬、閒行歸家、與範避地揚州。
- 【訓読文】
- 董卓乱を作すや、承、徒衆を合はせて天下と共に卓を誅せむと欲す。承の弟・昭、時に議郎たり。適長安従り来りて、承に謂ひて曰く、「今卓を誅せむと欲するも、衆寡敵せず。且つ一朝の謀を起して、阡陌の民を戦はしむ。士、素より撫せず、兵、練習せず。以て功を成すこと難し。卓、兵に阻りて義無く、固より久しくすること能はず。帰附する所を択び、時を待ちて動くに若かず。然る後に以て志の如くある可し」と。承、之を然りとす。乃ち印綬を解き、間行して家に帰り、範と与に地を揚州に避く。
- 【現代語訳】
- 董卓が騒乱を起こすと、承は徒党を糾合して天下の人々と共に董卓を誅滅しようとした。張承の弟の張昭は当時議郎の職にあったが、たまたま長安からやって来ており、張承に言った、「今、(あなたは)董卓を誅滅しようとしておりますが、多数と少数では相手になりません。しかも、唐突に計画を思い立ち、あぜ道で働く農民らを(徴兵して)戦わせようとしております。(あなたは)平素より将校らをいたわってきた訳でもありませんし、兵卒が訓練されている訳でもありません。これでは、成功を収めることは困難です。董卓は兵力を恃みにして道義がなく、(権力者の地位に)長く留まれるはずがありません。(あなたに)従う者を選抜し、時機を待って行動するのが適切です。そうすれば、いずれご希望通りになることでしょう」。張承は、この意見を正しいと考えた。そこで、官職を辞して密かに故郷へ帰り、張範と共に揚州へ避難した。
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