その後の交渉
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「チリでの学生運動 (2006年)」の記事における「その後の交渉」の解説
2006年5月31日(水)、ACESのメンバーは長官からの提案を検討するためにインスティトゥト・ナシオナルに集合した。ジリッチ教育長官の提案は、人口のうち、収入の少ない3分の1の層の大学共通入学試験料を免除するというものだった。学生代表数百人が数時間議論した結果、会議の議長は提案の拒絶を宣言し、大学生、教師、労働者の一部を合わせて月曜から全国ゼネラル・ストライキをすることを行うと宣言した。 ジリッチ教育長官はサンティアゴの古い教会レコレタ・ドミニカで再び学生達と会った。しかし7時間の交渉の末、学生らは、長官の提案を却下してゼネストを続けることを宣言した。ジリッチ教育長官はそのような脅迫的なやり方を続ける限りは交渉には応じられないと発言した。 6月1日の晩、バチェレ大統領は国民にむけてふたたび演説し、教育改革に関する最終的な提案を告知した。 教育省を再編成し、独立した権限を持ったいくつかの調整部門を作る。 教育の質を高めるための大統領諮問会議を設立する。 教育基本法(LOCE)を改革し、教育の自由だけではなく、高い質の教育を受ける権利、それらをどんな学生に対しても不当な差別なく与えること。これにより、質の高い学生を選別したり、質の悪い学生を区別したり排除したりすることが禁止される。 2006年には新入生50万人のランチと食事を無料とし、2007年にはそれを77万人にまで増やす。 520の学校への建築設備投資と、1200の学校の内装設備交換。 貧困な学生に与える交通無料パス(Pase Escolar)の使用条件を週7日、1日24時間にまで拡張する。、 学生15万人(学生の8割に相当する)の大学共通入学試験料を免除する。 一方でバチェレ大統領は、全ての学生に交通無料パスを支給するには経費が年1660億ペソ(約3億米ドル)もかかり、不可能であると説明した。さらに、その経費は貧しい人の住宅3万3千件分、健康保険料の全額、最新設備が整った病院17に等しいと説明した。一方、決定した政策により、25%の家庭が利益を受けるだろうとも発表している。翌日、経済長官アンドレス・ベラスコ(英語版)から、この政策に要する経費が2006年には6000万ドル、2007年には1億3800万ドルになると発表された。 学生達は6月2日、この提案について話し合うために教育省に集まった。8時間以上に及ぶ打合わせの後、高校生調整会議(ACES)はジリッチ教育長官と面談した。面談の終わりは午後10時であり、その後にジリッチ教育長官は学生との話し合いは合意に至らなかったと発表し、後に学生代表もそれを認め、6月5日の全国ストライキを実現するため、Internado Nacional Barros Arana校で別の会議を行うと発表された。
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