その後の交渉とは? わかりやすく解説

その後の交渉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/19 05:47 UTC 版)

チリでの学生運動 (2006年)」の記事における「その後の交渉」の解説

2006年5月31日(水)ACESメンバー長官からの提案検討するためにインスティトゥト・ナシオナルに集合した。ジリッチ教育長官の提案は、人口のうち、収入少な3分の1の層の大学共通入学試験料を免除するというものだった学生代表数百人が数時間議論した結果会議の議長提案拒絶宣言し大学生教師労働者一部合わせて月曜から全国ゼネラル・ストライキをすることを行うと宣言した。 ジリッチ教育長官はサンティアゴの古い教会レコレタ・ドミニカで再び学生達と会った。しかし7時間の交渉の末、学生らは、長官提案却下してゼネスト続けることを宣言した。ジリッチ教育長官はそのような脅迫的なやり方続け限り交渉には応じられない発言した6月1日の晩、バチェレ大統領国民にむけてふたたび演説し教育改革に関する最終的な提案告知した。 教育省再編成し独立した権限持ったいくつかの調整部門作る教育の質高めるための大統領諮問会議設立する教育基本法(LOCE)を改革し教育の自由だけではなく、高い質の教育を受ける権利、それらをどんな学生に対して不当な差別なく与えること。これにより、質の高い学生選別したり、質の悪い学生区別した排除したりすることが禁止される2006年には新入生50万人ランチ食事無料とし、2007年にはそれを77万人にまで増やす520学校への建築設備投資と、1200学校内装設備交換貧困な学生与え交通無料パス(Pase Escolar)の使用条件を週7日1日24時間にまで拡張する。、 学生15万人学生の8割に相当する)の大学共通入学試験料を免除する一方でバチェレ大統領は、全ての学生交通無料パス支給するには経費が年1660億ペソ(約3億米ドル)もかかり、不可能であると説明した。さらに、その経費貧しい人の住宅33千件分、健康保険料の全額最新設備整った病院17等しいと説明した一方決定した政策により、25%家庭利益を受けるだろうとも発表している。翌日経済長官アンドレス・ベラスコ(英語版)から、この政策要する経費2006年には6000ドル2007年には1億3800ドルになると発表された。 学生達は6月2日、この提案について話し合うために教育省集まった。8時間以上に及ぶ打合わせの後、高校生調整会議ACES)はジリッチ教育長官と面談した面談終わり午後10時であり、その後にジリッチ教育長官は学生との話し合い合意に至らなかったと発表し、後に学生代表もそれを認め6月5日全国ストライキ実現するため、Internado Nacional Barros Arana校で別の会議を行うと発表された。

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