その後の京宝特急
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1952年1月からは、京宝特急の運用を運用合理化のため京都線側に移管、810系に代わって710系が充当されることとなり、これによって810系の複電圧車グループは定期での京都線乗り入れ運用がなくなった。乗務員もまた、京都線の乗務員が宝塚まで入線することとなった。京宝特急の宝塚到着後、回送で西宮車庫に入庫する際は往路の逆コースをたどって西宮北口駅神戸線上りホームから西宮車庫に入庫、出庫して宝塚に回送される際はこのコースの逆で今津線に入線、京都線帰還時に編成の向きが逆にならないように注意を払った。ただし、1954年10月10日から12月19日にかけて実施された西宮北口駅構内配線改良工事の際には、京宝特急は規格向上工事が完成した宝塚線経由で運転され、その運用には810系と複電圧車の予備車である802-852が充当されている。これが、宝塚線で特急が運転された初の事例である。 京宝特急は1963年6月17日の大宮駅-河原町駅間延伸以降は運転区間を河原町-宝塚間に変更し、西宮車庫で行っていた折り返し待機を正雀車庫に変更、710系も2800系の就役に伴って1965年以降はロングシート化されたが、京都側を朝出発、宝塚を夕方出発というダイヤで走り続けた。1967年10月8日には長年の懸案であった神戸線の架線電圧1500Vへの昇圧が完成、神戸・京都両線の直通運転の大きな障害が除去されたが、京宝特急は神戸高速鉄道開業を前にした1968年2月25日の運転を最後に廃止された。
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