神京・京宝特急
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/12 03:01 UTC 版)
神京・京宝特急(しんけい・けいほうとっきゅう)は、かつて阪急電鉄の前身である京阪神急行電鉄において運転された特急列車の通称である。前者は1949年12月から1951年10月にかけて神戸・京都両線を直通して神戸-京都間[注 1]に運転された。後者は1950年3月から1968年2月にかけて京都・神戸・今津の各線を経由して京都-宝塚間に運転され、「歌劇号」の別称があったことも知られている。
注釈
- ^ 駅名は当時のもの。
- ^ 100形のうち、空襲で被災した105が方向転換のために西宮北口まで入線したことはある。
- ^ 1950年に800系に改番。
- ^ 改造工事の概要については800系の項を参照。
- ^ 神戸発平日9:16,12:16,15:16、日曜祝日9:39,14:06,18:06、京都発10:54,13:54,16:44、日曜祝日8:00,12:00,16:22,19:30
- ^ 現在宝塚発今津線経由梅田行きの準急が使用。
- ^ 宝塚線の規格向上工事は1952年3月に十三-池田間及び箕面線全線が第一期区間として竣工後、同年9月に宝塚までの全線が完成。
- ^ 600V専用車の801-851も同時に塗り替えられた。このほか、京都線の100形の元貴賓車である1500号と宝塚線の380形の一部車両も同様の塗色に塗り替えられた。
- ^ 同時に、802-852は車内灯の蛍光灯化や車内放送装置の試験車とされた。
- ^ 当時は水力発電が主体であったことから渇水等の事態が発生すると電力供給能力が低下し、供給制限や停電がしばしば発生した。
- ^ 京宝特急は朝京都発、夕方宝塚発であったことから810系をはじめ神戸線車両が担当した場合、西宮車庫から列車送り込みと入庫のための長距離回送が必要であった。
- ^ 神戸線の場合、当時は休日に神戸-宝塚間の直通普通が多く運転されていたことから、920系以降の2両固定編成車両では電動車が神戸側に来る逆編成も日常的に走っていた。しかし、京都線には西宮北口と同様の三角線はなく、一旦逆編成になってしまうと、向きを戻すのが困難であった。
- ^ 宝塚線経由は宝塚行きのみ。宝塚線内は無停車である。
- ^ 運転日は川西能勢口発が4月13日から15日、豊中発が4月16・17日、高速神戸発が4月20・21日、西宮北口発が4月22日から24日。
- ^ 梅田・河原町 - 嵐山間の臨時列車は『快速特急』を名乗っている。
出典
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