スピードアップと新車の投入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/26 03:49 UTC 版)
「神京・京宝特急」の記事における「スピードアップと新車の投入」の解説
1950年に入ると戦後の復興も一段落したことから同年10月1日に阪急全線のダイヤ改正を実施、神京特急は神戸線内のスピードアップと京阪間をノンストップ運転としたことから65分にスピードアップ、京宝特急も京都行き64分、宝塚行き67分にスピードアップされた。運転本数も変更されることとなり、神京特急は平日・日曜祝日とも4往復に揃えられたが、京宝特急は従来同様日曜祝日のみの1往復運転であった。京阪間ノンストップ運転は長くは続かず、翌1951年4月以降は高槻市にも再び停車するようになった。 また、この頃になると車両面においても大きな変化が見られるようになった。日常的に神戸-京都間の直通列車が走るようになると、神戸・京都の両線だけでなく、近い将来に予定されていた宝塚線の規格向上工事完成後に同線に入線できる車両の規格づくりが行われた。具体的には100形の全長と800系の車体幅を持ち合わせた阪急標準車体寸法を設定し、それに準拠した車両を製造することとなって、同年末までに神宝線向けの810系と京都線向けの710系が複電圧装置を搭載して、扉間固定式クロスシートの優等列車向け車両として登場、1951年1月から810系が神京・京宝特急に充当されることになり、800系の運用は消滅、802-852は810系の予備車として1955年末まで複電圧車のまま残されたが、803-853は直通運用離脱直後の同年4月に600V専用車に復元された。一方、710系は運用開始当初神戸線への直通運用はなかったことから、京都線の急行を中心に運用された。
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