にっぽん‐ばんこくはくらんかい〔‐バンコクハクランクワイ〕【日本万国博覧会】
読み方:にっぽんばんこくはくらんかい
⇒大阪万博
日本万国博覧会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/29 00:58 UTC 版)
日本万国博覧会(にっぽんばんこくはくらんかい、英: Japan World Exposition Osaka 1970, Expo '70)は、1970年(昭和45年)3月15日から9月13日までの183日間、大阪府吹田市の千里丘陵[3][注 3]で開催された国際博覧会。
- ^ 台湾が「中華民国」の正式国名で参加した、最後の国際博覧会である。
- ^ 後のラオス人民民主共和国。
- ^ 後のミャンマー。
- ^ 後のスリランカ共和国。
- ^ 当時、南北に分かれていたうちの南ベトナムである(1976年に北ベトナムへの統合により消滅)。
- ^ 現在はアラブ首長国連邦(UAE、1971年結成)を構成する首長国のひとつ。
- ^ 終了後の1973年に王制廃止。
- ^ イラン (61)・トルコ (18)・パキスタン (45) の3か国、後のECO(経済協力機構)。
- ^ 後のロシア連邦、独立国家共同体構成国。
- ^ 西ドイツのみ参加。
- ^ 後に王制を廃止、ギリシャとなる。
- ^ 後にチェコとスロバキアに分裂。
- ^ 終了後の1974年に帝政廃止。
- ^ 後のコートジボワール。
- ^ 後のエジプト。
- ^ 後のEU(ヨーロッパ連合)。
注釈
- ^ 万博後、BIE総会で一般博の区分は廃止された。
- ^ その後独立行政法人 日本万国博覧会記念機構となったが、2014年4月1日付で解散[1]。
- ^ 千里丘陵は吹田市のほか豊中市・茨木市・箕面市にまたがる丘陵地であるが、出典記載のとおり開催地は吹田市の丘陵地域にあたる。万博記念公園の項目も参照。
- ^ 2010年の上海万博に抜かれるまで、長らく万博史上最高だった。
- ^ これも上海万博に抜かれるまで1日最高入場数の万博記録だった。
- ^ 鈴木と丹下のつながりは新東京都庁舎にも続いた。
- ^ 大高は他に日清カップヌードルのロゴや初代「のりたま」のパッケージデザインを手がけた。
- ^ 法律名は「日本万国博覧会の準備及び運営のために必要な特別措置に関する法律」(昭和41年法律第105号)。
- ^ 中国道の上り線用地を北大阪急行電鉄会場線用地として貸与していたため、万博開幕直前の1970年3月1日に中国吹田IC - 中国豊中IC間のみ暫定2車線で供用を開始し、万博期間中の7月23日に中国豊中IC - 宝塚IC間までが延伸した。万博終了後に当初の計画どおり4車線化されて開通した。
- ^ 万博開催当時、名神高速道路と近畿自動車道、中国自動車道は互いに接続されておらず、各高速との往来は一旦出場して一般道を経由する必要があった。なお、吹田JCT(名神と中国道の直結ランプ)が開通したのは1979年5月15日である。
- ^ 北大阪急行は万博期間終了後、会場線と万国博中央口駅を廃止した。なお大阪モノレールは万国博終了後20年を経た1990年に路線開業し、万国博中央口駅跡のすぐ南に万博記念公園駅が作られた。
- ^ 4月3日放送分はよど号ハイジャック事件のニュースを放送したため4月4日に変更[77]。
- ^ 1970年にリベリアで発行された大阪万博開催記念切手に三波が描かれ、その切手の上部に本楽曲のフレーズの一部が日本語で綴られている。
- ^ 三波の代表曲の一つとして知られ、1994年の「芸能55周年記念リサイタル」で三波本人が東京オリンピックのテーマソングである「東京五輪音頭」と本楽曲を「生涯の宝物でございます」と語っている。
- ^ 付近のバス停にも「スカンジナビア館」と表記されていた。
出典
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日本万国博覧会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/04 22:14 UTC 版)
「ウルトラ怪獣擬人化計画」の記事における「日本万国博覧会」の解説
大阪万博(英語表記は「EXPO'70」)。日高凛子のエピソード時代の設定は、この直前である。ゴモラの剥製が展示されていた。本作品連載中に、2025年に再び大阪で万博が開催されることが決定された。
※この「日本万国博覧会」の解説は、「ウルトラ怪獣擬人化計画」の解説の一部です。
「日本万国博覧会」を含む「ウルトラ怪獣擬人化計画」の記事については、「ウルトラ怪獣擬人化計画」の概要を参照ください。
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