しし‐まい〔‐まひ〕【×獅子舞】
獅子舞
獅子舞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/01 18:44 UTC 版)
獅子舞(ししまい、中国語: 舞狮、拼音: 、英: Lion dance)とは、東アジアおよび東南アジアでみられる伝統芸能の一つ。頭に獅子頭(ししがしら)を付けて衣装を身にまとい、祭囃子にあわせて獅子が舞い踊るものである。
- ^ a b c d e f g h 佐藤考一「獅子考-獅子像と獅子舞の考察-」『桜美林大学研究紀要.人文学研究』第2号、桜美林大学、2022年3月25日、271-281頁。
- ^ a b c d 孟美玲「日本における中国獅子舞の継承」『華南研究』第2巻、日本華南学会『華南研究』編集委員会、2015年、23-48頁。
- ^ a b c d e 平島朱美「日本のコミュニティにおける獅子舞伝承の今日的意義」『国際日本学論叢』第13巻、法政大学大学院 国際日本学インスティテュート専攻委員会、2016年3月7日、92-121頁。
- ^ a b c d 森田玲『日本の祭と神賑』創元社 2015年、ISBN 9784422230351 pp.130-133.
- ^ a b c d e f g h i j 雨宮久美「神事としての獅子舞」『明治聖徳記念学会紀要』、明治聖徳記念学会。
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- ^ 早川高師「舞い踊れ 軽量なる獅子頭◇祖父から3代目 寄せ木づくりの手法を後世に◇」『日本経済新聞』朝刊2016年12月31日(文化面)
- ^ 『ロカルちゃ!富山 Vol.12 祭編〜其の1〜』(富山県観光・地域振興局観光課)2014年3月発行 8P
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- ^ “のん×映画『雄獅少年/ライオン少年』、胸がアツく高鳴るコラボMVが完成”. THE FIRST TIMES (2023年5月19日). 2023年8月23日閲覧。
- ^ “チーム名・ロゴ・マスコット”. ザスパクサツ群馬公式サイト. 2022年11月6日閲覧。
獅子舞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/12/14 01:21 UTC 版)
「諏訪八幡神社 (飯能市)」の記事における「獅子舞」の解説
秋祭りには、この神社に伝承されている獅子舞を奉納する。3頭立てのササラ獅子舞で天下泰平、国土安穏を祈る。市指定無形文化財。
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獅子舞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/08 13:42 UTC 版)
獅子舞は小さな獅子頭を紋付・袴姿の氏子代表が頭上に掲げ、厳かに歩いて進むものである。なお2005年(平成17年)には、「とやまの文化財百選(とやまの獅子舞百選部門)」に選定されている。 形状: 箱獅子 分類: 行道獅子
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獅子舞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/07 17:23 UTC 版)
獅子頭は井波彫刻の名工が制作した、角が1本ある雄と雌二頭の夫婦獅子で二人獅子である。神輿、曳山を先導し巡行路を清める露払いの役目をしている。2005年(平成17年)には、「とやまの文化財百選(とやまの獅子舞百選部門)」に選定されている。
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獅子舞
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獅子舞は、川原町、西町、西荒町、新町、天神町の5町が出している。富山県内で唯一石川県の加賀獅子の流れを汲む獅子で、獅子頭と胴体(胴幕)が離れており、2mほどの綱により繋がれている。なお、川原町の獅子舞は2005年(平成17年)に、「とやまの文化財百選(とやまの獅子舞百選部門)」に選定されている。
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獅子舞
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五箇山地方より伝わったとされる多人数で舞う百足獅子で、曳山の巡行路を清める露払いの役目をしている。なお2005年(平成17年)には、「とやまの文化財百選(とやまの獅子舞百選部門)」に選定されている。
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獅子舞
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文安年中(1444年頃)神主茂木大膳が京都石清水八幡宮の奉納獅子を拝観し感ずるところがあり、これを習得して氏子に伝えたという。疫神祭では、午前8時からの祭典の後、神職・総代、これに各廓(村組)から選ばれた子供たちが、獅子頭を着けて行列を作り、五色の幣を配りながら各家を巡り、村境に至って疫神除けの神札を付けた竹を立てる。これが済むと、一同が後ろを振り返らずに神社に帰り行事を終える。例祭では、8月28日午前8時の神幸祭の祭典の後、獅子舞の一行を従えた神輿が村を回る。途中、檀那寺の梅岩院で獅子舞があり、当社に戻って「門がかり」「橋がかり」など数庭の獅子舞が奉納される。現在、獅子舞は保存会が結成されていて後継者育成に当たっている。
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獅子舞
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神幸行列の獅子(宮本)と屋台の獅子(神楽)の2種類がおり、神幸行列及び屋台巡行それぞれの露払いとして、各家々で獅子舞を舞い門付けしてゆく。
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獅子舞
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「諏訪神社 (大阪市)」の記事における「獅子舞」の解説
天正18年(1590年)、小田原攻めの時、豊臣秀吉が大坂城の天守閣から外を眺めた際、森の様に木が生い茂っていた当神社が目に留まり、参拝した所、戦に勝利したという逸話がある。その際、秀吉は神社の霊験を得たとして、雄と雌の一対の獅子を奉納したとされる。雄獅子は1885年(明治18年)に起こった明治十八年の淀川洪水で流失したが、雌獅子とそのレプリカが現存している。同神社の獅子舞は奉納後に始まったとされるが、前述の水害で資料が流失してしまった為不明。昭和に入り、戦争の為一時途絶えたが、獅子地車保存会により1968年(昭和43年)に復活。毎年秋祭りに行われている。 2003年(平成15年)、大阪市の無形民俗文化財に指定。
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獅子舞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/11 02:55 UTC 版)
八雲神社(旧天照大神熊野権現社)の祭礼で、毎年初午に神社に奉納している獅子頭を持ち出して舞う。
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獅子舞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/14 06:01 UTC 版)
夏祭のときには、昼間は氏地をまわるが、それだけでなく夜間は摂州地車囃子奉納の時間にあわせて傘踊りをしながら境内を練る。
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獅子舞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/15 05:18 UTC 版)
「上鴨川住吉神社神事舞」の記事における「獅子舞」の解説
播磨地方でよく見られる太神楽系統ではなく、田楽系統の獅子舞であると考えられている。非常に短いもので、所作もなく境内を一周するのみである。龍王舞の後に演じられる獅子舞にこうした特徴が見られることがある。
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獅子舞(ししまい)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/05 01:38 UTC 版)
「小濱神社秋季祭礼」の記事における「獅子舞(ししまい)」の解説
宵祭、本祭にそれぞれ1回程度、小濵神社で行われるもの。まず鳥居から獅子が掛け声とともに拝殿へ突進し、そのまま階段を駆けあがって拝殿左手の縁側に上り、上段の構えで激しく舞う。やがて獅子頭は構えを下げながら右へ、左へと這うように移動し、階段を徐々に降りていく。その時、激しかった舞もだんだんとゆったりとした舞になっていく。そして階段を降り切っても徐々に前進を続け、再び舞が激しくなったところで舞を終え、一度階段を上った後、掛け声と共に鳥居側へ突進する。突進中、境内の中央あたりに達したところで獅子の中に入っている連合会のアカバ衆たちが2手に分かれ、獅子の蚊帳を綱引きのように引っ張り合いながら掛け声を上げ続け、少しずつ鳥居側へ前進していく。(ここまでを獅子舞の一番とする。)鳥居に達すると獅子は拝殿側へ向きを替え、蚊帳の中から笛、太鼓役が手水舎の前へ移動し準備した後、境内で棒振りを二番演じる。その後、獅子がもう一度拝殿へ突進してもう一番獅子舞を演じ、鳥居を出ると次の連合会に交代する。なお、拝殿上で徐々に階段を下りていく場面では、基本的に獅子の中のアカバ衆は「ワッサイワッサイ」と掛け声を上げているが、時折替え歌や祭礼行列のやっこのような芸、さらには小道具などで観客を楽しませることがある。
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獅子舞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/28 01:26 UTC 版)
坪野神明社の獅子舞は、黒塗り1頭立てである。越中獅子舞の5類型の中で、婦負郡に多い(飛騨系)金蔵獅子に分類される。速星の獅子舞は、明治初期に婦負郡富崎村(現・富山市婦中町富崎)から伝播したと伝え、毎年4月17日に興行されている。
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獅子舞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/30 14:16 UTC 版)
「春日神社 (いなべ市)」の記事における「獅子舞」の解説
10月9日、10日の両日行われ、平成22年(2010年)時点で300年以上の歴史があるといわれる。現在使われている獅子頭は嘉永2年(1849年)に作られた貴重なもの。獅子舞は獅子と天狗役で演じられ、獅子は春と秋を表す「狂乱牡丹の舞」と「菊の舞」の2つの舞を、天狗は獅子に寄り添って舞の案内や手助けをする。獅子の舞は四方から襲ってくる災厄を追い払いながら毛繕いをしたり眠ったりと、動物の自然の仕草を取り入れた素朴な舞で、豊作と地域の安全を祈願する。また囃子(はやし)も奏されるが、これは絣の着物に花笠をつけた子どもたちが、大人の笛に合わせて太鼓や鉦などの楽器を奏でるものである。「下野尻春日神社奉納獅子舞」として昭和58年(1983年)5月にいなべ市指定無形民俗文化財に指定された。
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獅子舞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/21 15:45 UTC 版)
おかえり獅子と呼ばれる、加賀獅子の系統を汲む大きな胴体を持つ獅子である。
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獅子舞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/18 10:10 UTC 版)
獅子舞は豊年祭の中で行われる、守り神である獅子への祈りを目的とする演目であり、プログラムの中頃に演じられる。緩やかな舞いから始まり、軽快な踊りを見せる。ムラ中にある邪気を払い、嘉陽の人たちの安泰を願うような荘厳な舞いをみせる。
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「獅子舞」の例文・使い方・用例・文例
- 獅子舞い
- 越後から出た獅子舞
- (正月の)獅子舞い
- 能楽で舞う獅子舞い
- 獅子舞や品玉,皿回しなどの曲芸
- 正月の獅子舞に使う獅子の頭
- 犠牲者を追(つい)悼(とう)し,今もなお苦しんでいる人々を励ますため,この地域の獅(し)子(し)舞(まい)である大曲浜獅子舞が1月3日に披(ひ)露(ろう)された。
- 大曲浜獅子舞は,その年の大漁を祈願するため,正月に漁民たちによって行われている。
- しかし,この獅子舞の保存会は地震や津波で4人の会員を亡くした。
- 獅子舞に使われる小道具や備品も流失したり,ひどく破損したりした。
- 昨夏,保存会の若手会員が伝統の獅子舞が続くよう活動を開始した。
獅子舞と同じ種類の言葉
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