説経節とは?

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せっ きょうぶし-きやう- [0] 【説経節】

語り物の一。説経平俗化、音曲芸能化されたもので、室町末期から江戸初期には、三味線伴奏操り人形提携し、説経の座を興行した。全盛期万治寛文1658~1672)頃で、宝永正徳1704~1715)頃には義太夫節圧倒されて衰微した。代表的な曲を五説経という。研究上は古浄瑠璃一種として扱われる。説経説経浄瑠璃。 → 五説経

説経節

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/09/24 00:07 UTC 版)

説経節(せっきょうぶし)は、日本中世に興起し、中世末から近世にかけてさかんに行われた語りもの芸能・語りもの文芸[1]仏教唱導(説教)から唱導師が専門化され、声明(梵唄)から派生した和讃講式などを取り入れて、平曲の影響を受けて成立した民衆芸能である[2]。近世にあっては、三味線の伴奏を得て洗練される一方、操り人形と提携して小屋掛けで演じられ、一時期、都市に生活する庶民の人気を博し、万治1658年-1660年)から寛文1661年-1672年)にかけて、江戸ではさらに元禄5年(1692年)頃までがその最盛期であった[1][2][3]




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注釈

  1. ^ 唱門師(声聞師)は、陰陽師を源流として当初は庶民向けに読経や卜占をおこなっていたが、曲舞猿楽などもおこなうようになった。「しょうもじ」「しょうもんじ」「しょもじ」と読み、「唱聞師」「聖問師」「唱文師」「誦文師」とも表記する。散所(寺社の附属地でその雑役にあてられた)に集住したところから「散所非人」ないし単に「散所」と称されることもあった。塩見(2012)pp.87-93
  2. ^ 『元亨釈書』では、唱導の名手といわれた慶意には「先泣の誉」があったことを伝えているが、このことは、唱導の名手は聴衆を泣かせる前にまず自ら泣いたことを意味している。五来(1988)pp.484-485
  3. ^ 当初、僧侶が経典を講読する説法であった説経(説教)も、平安時代なかばには、清少納言が『枕草子』で「説教の講師は顔よき」と述べたように、美的雰囲気をともなうものでなければ聴衆の関心をひくことができないものとなっており、さらに、『今昔物語集』に収載された天台座主教円にかかわる説話からは、従来の教典講説から機知やユーモアに富んだ通俗的な講説に変質してきた事実がうかがえる。さらにまた、院政期に唱導の名手として活躍した澄憲は、学識深く能弁で、しかも清朗な美声のもち主であったため、多くの人びとを惹きつけ、多数の聴衆の感涙をさそったといわれている。澄憲の子の聖覚もまた弁才にすぐれ、浄土門に帰依するいっぽうで安居院流を創始した。やがて、説経は哀讃を中心にすえるようになり、身振りや音韻的要素を加えて、芸能に近いものとなり、大衆とのかかわりを深めていったのである。岩崎(1973)pp.21-25
  4. ^ 岩崎武夫は、平安時代初期の弘仁年間(810年-824年)に景戒が撰した『日本霊異記』を最古の唱導(説経)文学として掲げている。岩崎(1973)p.28
  5. ^ 唱導文学は、中世においてさまざまな説話文学と語りもの芸能を生み出した。『平家物語』成立の重要な要素として唱導があったことについては複数の学者によって指摘されており、浄瑠璃や幸若舞も、その源流は唱導文学にさかのぼる。荒木(1973)p.316
  6. ^ 室木弥太郎は、現行の『自然居士』は世阿弥の改作であろうと推定している。謡曲『自然居士』は実在の自然居士をモデルにし、それを美化した作品である。室木(1977)p.406
  7. ^ 天保15年(1844年)成立の『尾張志』には、尾張国に自然居士の弟子東岸居士を祭るものがあり、それはささらをする戸籍外の遊民であるとの記録がある。室木(1977)p.406
  8. ^ 蝉丸は、百人一首の「これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも あふ坂の関」で知られており、詳細は不明ながら、醍醐天皇第4皇子で琵琶の名手だったが、盲目のため逢坂山に捨てられたという伝説をもつ。室木(1977)p.405
  9. ^ 蝉丸法師の実体は廻国性をもつであったと考えられるが、『御巻物抄』によれば、蝉丸は妙音菩薩の化身で、衆生済度を願い、逢坂山を通る旅人に乞食をするが、それは利益方便のためであって心中少しも卑劣に思うところはないと記している。室木(1977)p.405
  10. ^ 喜多村信節『筠庭雑考(いんていざっこう)』にも、慶長年間の絵としてささら説経のようすが描かれている。岩崎(1973)pp.8
  11. ^ 説経が語られた大寺院としては、他に、大坂の四天王寺、京都の清水寺、江戸の増上寺などが考えられる。荒木(1973)p.309室木(1977)p.405
  12. ^ 上方では山本土佐掾、岡本文弥、宇治加賀掾らが、江戸では杉山丹後掾、江戸肥前掾、江戸半太夫らが浄瑠璃語りの太夫として活躍していた。岩崎(1973)p.16
  13. ^ 歌舞伎踊りの創始者といわれる出雲阿国佐渡国を訪れたと伝えられている。室木(1977)p.412
  14. ^ 江戸孫四郎が堺町、結城孫四郎が葺屋町(ともに現在の千代田区日本橋人形町の一画)で説経操りを興行していたと記録されている。岩崎(1973)p.14
  15. ^ 荒木繁は、横山重の先行研究なども参照して、赤木文庫蔵絵入写本『せつきやうかるかや』(仮題)、御物絵巻『をくり』について、「古説経」に準ずるものとしている。荒木(1973)p.312
  16. ^ 荒木繁は、郡司がこのように説明する根拠について調べたが、その出典は結局わからなかったと述べている。荒木(1973)p.317
  17. ^ 儒者(古学の徒)である春台は、説経節の曲節がゆるやかで、華やかさのないところを、善悪因果を語るところとあわせ、かなり好意的に評価している。岩崎(1973)pp.17-21
  18. ^ 『言継卿記』の記述からだけでは、天正20年段階で、浄瑠璃の伴奏に三味線が使われたかどうかは不明である。室木(1977)p.401
  19. ^ その場合、舞のある語りは無論のこと、舞のない語りも「舞」と称した。室木(1977)p.403
  20. ^ 外『山椒大夫』が発表されてすぐ、柳田国男はすぐに自らの主宰する『郷土研究』で取り上げている。柳田はこのなかで「さんしょう」は本来「散所」ではないかとして「山荘太夫」と表記している。塩見(2012)p.87
  21. ^ 折口信夫は、高安長者伝説の「最原始的な物語」の再現をめざして小説化をはかった。折口は、『身毒丸』「附言」において「わたしは、正直、謡曲の流よりも、説教の流の方が、たとひ方便や作為が沢山に含まれてゐても信じたいと思ふ要素を失はないでゐる」と記している。折口信夫『身毒丸』

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao 『世界大百科事典』(1988)pp.576-577, 岩崎・山本「説経節」
  2. ^ a b c d e f g h i 郡司(1953)pp.388-389
  3. ^ a b c d e f g h i j k l 室木「解説」(1977)pp.393-399
  4. ^ a b c d e f 岩崎(1973)pp.7-30
  5. ^ 五来(1988)pp.484-485
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 荒木「解説・解題」(1973)pp.313-317
  7. ^ 大島 薫. “日本において編纂された説法資料に関する考察 (PDF)”. 2014年2月19日閲覧。
  8. ^ a b 折口信夫 (1995a). “唱導文学 - 序説として”. 折口信夫全集 4. 中央公論社. 2014年2月19日閲覧。
  9. ^ 折口信夫 (1995b). “唱導文芸序説”. 折口信夫全集 4. 中央公論社. 2014年2月19日閲覧。
  10. ^ 黒田(1979)pp.238-242
  11. ^ a b c d e f g h i j 室木「解説」(1977)pp.404-406
  12. ^ a b c d 塩見(2012)pp.9-57
  13. ^ a b c d e f 荒木「解説・解題」(1973)pp.307-310
  14. ^ 岩崎(1973)pp.7-21
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  16. ^ a b c d e f g 吉川(1990)pp.43-44
  17. ^ a b c d e f g h i j 守随(1979)p.157
  18. ^ 塩見(2012)pp.259-263
  19. ^ a b 薩摩派説経節の会”. 2014年2月19日閲覧。
  20. ^ 説経節若松若太夫”. 2014年2月19日閲覧。
  21. ^ a b c d e f g h i j 荒木「解説・解題」(1973)pp.310-313
  22. ^ 荒木「解説・解題」(1973)pp.331-333
  23. ^ a b c d e f g h i 荒木「解説・解題」(1973)pp.317-319
  24. ^ 藤田宏紀. “マルコ福音書の口頭性の再認識と釈義 (PDF)”. 2014年2月19日閲覧。(『宮城学院女子大学研究論文集 115号』、2012年12月)
  25. ^ a b c d e f g h i 塩見(2012)pp.58-108
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  28. ^ a b c 塩見(2012)pp.176-258
  29. ^ a b c d e 荒木「解説・解題」(1973)pp.321-323
  30. ^ a b 塩見(2012)pp.109-175
  31. ^ 伊藤(1999)p.284
  32. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa 室木「解説」(1977)pp.400-404
  33. ^ a b c d 荒木・山本「まえがき」(1973)
  34. ^ a b 岩崎(1973)
  35. ^ a b 日本芸術文化振興会. “「寄席の歴史(芸能全体)」神仏との関わり”. 2014年2月19日閲覧。
  36. ^ a b 岩崎(1973)pp.31-157
  37. ^ 森鴎外. “『歴史其儘と歴史離れ』”. 2014年5月5日閲覧。
  38. ^ 折口信夫. “身毒丸「附言」”. 折口信夫全集27. 中央公論社. 2014年2月22日閲覧。
  39. ^ 上沼美由紀. “『文学にみる障害者像-小栗判官をめぐる人たち』”. 2014年5月5日閲覧。(『ノーマライゼーション 障害者の福祉』2006年1月号)
  40. ^ 佐渡市. “佐渡市の文化財「佐渡の人形芝居」”. 2014年2月19日閲覧。
  41. ^ 埼玉県横瀬町. “横瀬の人形芝居”. 2014年2月19日閲覧。
  42. ^ 八王子車人形西川古柳座”. 2014年2月19日閲覧。
  43. ^ 説経節政大夫 大正大学、2015
  44. ^ 2010年度の総会報見世物学会、2010






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