説経節『さんせう太夫』とは? わかりやすく解説

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説経節『さんせう太夫』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 14:45 UTC 版)

弘前藩」の記事における「説経節『さんせう太夫』」の解説

津軽地方山岳信仰対象である岩木山には「山椒大夫」(安寿と厨子王丸)に登場する安寿祀られている。 説教節では安寿拷問によって非業の死遂げるが、彼女を酷使して殺害した山椒大夫山岡太夫はいずれ丹後国の者であったため、弘前藩領に[丹後人間が入ると安寿怨霊によって災害起こって人々苦しめるとされた。江戸時代末期になってさえ、弘前藩では丹後住人忌避した。これは「丹後日和」と呼ばれた天明8年 (1788年) 7月江戸幕府巡見使一員として弘前藩内に入った古川古松軒は、7月15日日記に「丹後日和」のことを記録している。これによると、丹後の人が弘前藩内に入ると天候荒れ災い生ずるとされ、故に丹後出身者領内一人もいない、というものだった。また同じ著述により、幕府巡見使江戸出発に際して幕府対し津軽藩から一行中に丹後出身者がいるか否か照会があり、万一いた場合構成員から除外して欲しいとの要望出され該当の人は一行から外されたと記録されている。古松軒自身は、丹後日和妄説であると述べているが、津軽藩から要請され幕府はそれを拒否しなかった。 これは藩の公式の記録にも残っている。 弘前藩が自らの苛政隠蔽し領民の不満を丹後人に向けて逸らせようとするであったとする説がある。

※この「説経節『さんせう太夫』」の解説は、「弘前藩」の解説の一部です。
「説経節『さんせう太夫』」を含む「弘前藩」の記事については、「弘前藩」の概要を参照ください。

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